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[The 人]岡山大学長 森田潔さん 世界見据え 美しい学都 目指す

 もりた・きよし 1949年、倉敷市生まれ。岡山大教育学部付属中、朝日高を経て68年に同大医学部に入学。学生時代は中学で始めたテニスに没頭した。2002年に同大大学院医歯学総合研究科教授、05年には同大医学部・歯学部付属病院長となり、11年4月から現職。趣味は在来線での小旅行や庭の手入れ。

 「肺に空気を送る作業をやめたら、死んでしまう。この子の命は今、君が握っているんだ」

 岡山大病院(岡山市北区鹿田町)の中央診療棟にある手術室。午前8時すぎ、術着をまとった同大学長森田潔(61)が実習中の医学部生に語りかけた。

 手術台には全身麻酔で意識のない女児が横たわる。筋肉の動きが止まり、自発呼吸ができないため、学生は手で空気を送り込むバッグマスクを操作、人工呼吸をしていた。

 森田の口調は穏やかで優しい。だが、言葉の芯には患者の命を預かる麻酔科医、指導者としての厳しさがある。

 会議に来客応対、学外行事への出席…。連日分刻みの日程が組まれる。地域の行政や経済界との連携を強め、自立した経営を目指す「国立大学法人」のトップは超多忙だ。しかし、3月まで務めていた大学病院長時代に日課とした、朝の手術室入りをやめない。

 「立場は承知しているが、命を預かる一臨床医でもあり続けたい」。自身の存在理由につながる強い思いが、自宅から津島キャンパス内の学長室に向かう途中、“現場”へ足を運ばせる。

 「子ども好き」「手先が器用」と話す森田。小児外科か小児科に進むつもりだったが、20代半ばに岡山大医学部で出合った「麻酔」の奥深さにひかれ、一生の仕事とした。

 当時、麻酔は外科の一領域として発展途上にあった。「手術に欠かせない技術。2、3年勉強して転科しよう」。故・小坂二度見ふたみ(教授。後に学長)が開いたばかりの麻酔・蘇生学講座を選んだ。

 患者から直接感謝の言葉を伝えられることが少なく、投薬の失敗は即、死につながる。「ごまかし」は一切通じない。そんな緊張感の中、全身管理を通じて手術を支える点に魅せられた。

 17年間師事した小坂から「得意分野を持ち、部下の面倒を見ろ」と教わり、人の頼みを断らず、悪口を言わないことを心掛けた。組織運営の要諦を自然に体得、周囲から背中を押され、恩師と同じ道を歩んでいた。

 「トップには、強烈なカリスマ性で引っ張る人と、バランス感覚や協調性を生かす人がいる。私は明らかに後者」と森田。大胆な「改革」を進めた前学長・千葉喬三の路線を継承し、11学部・7研究科に約1万6千人の学生、教職員を抱える大組織を動かすため、今は各部門の潜在能力を分析中だ。「学生数が少ない鹿田キャンパスだけを見ていた時とは、目配りすべき範囲が全く違う」と率直に語る。

 就任間もなくメールで全教職員に送った大学運営方針も、千葉が掲げた国際的研究・教育拠点としての「学都」の実現が柱。ただ、持論の「知の創造の場には、落ち着きと気品が不可欠」との思いを加えた「美しい学都」を目指すとした。具体的目標に全国の大学トップ10入りを掲げ、世界で活躍する人材育成へ英語教育の拡充もにらむ。

 2004年の国立大学法人化から7年―。変革を強いる荒波は一段落したが、国の交付金減少など、岡山大の正念場は続く。少子化の中、かじ取りを誤ると、伝統校でも淘汰とうたされかねない。そんな時代だからこそ、時に修羅場となる手術室で、オペの進行を冷静に管理してきた麻酔科医の目が、大学運営に求められるのだろう。
※登場する人物・団体は掲載時の情報です。

(2011年08月29日 更新)

タグ: 岡山大学病院

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