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外科医への門 おおもと病院 名誉院長 山本泰久

 私が外科医になろうと思ったのは、岡山大医学部第一外科の陣内傳之助教授の講義からだった。陣内教授の熱意、人生論を交えた臨床講義は夜中すぎまで続くことも度々であった。先生の人間、外科医に魅せられた。従って、インターンの間はほとんど陣内外科に入り浸っていたように思う。

 他の科へちょっと顔を出し、第一外科の医局で出番を待っていた。指導者は20代後半の主任ナース、美人の婦長さん、2、3年先輩の医局員など。「ちょっと手伝ってくれ」から、「やってくれ」「手術につけ」と言われたが、検査、ガーゼ交換、レントゲン検査などなど実践に役立つことばかりだった。

 当時は入院患者にプロの付き添い婦が大勢いて“病棟のおばさん方”にも教わることが多かった。患者さんの不安、痛み、不具合を本人だけでなく、患者さんのそばにいる人にも聞くと、少しでも患者さんの役に立つ。若いときの情熱は、少しの結果に一喜一憂だった。

 入局後、陣内教授にはよく叱られた。「キミー、どうしてですかねー、ホントにー」。患者さんの前でも手術場でも、所かまわず叱られた。患者さんに同情され、ナース、先輩たちにも「やられたなー」となぐさめられたが、尊敬して好きで弟子入りした先生に叱られて「ガックリ」はしても「ヤル気」は十分だった。

 先生の小言は叱り上手で後を引くことがなかった。手術や研究がうまくいくと「ウン、よかったねー」と鼻歌が出るなど、すばらしい恩師に恵まれたと思っている。

 夕方になると、岡山大学病院前の焼き肉店やマージャン店に出かけるなどし、先輩たちのお世話になった。時に、親友たちに誘われマージャン、碁、ダンスにも忙しかったインターン時代を懐かしく思い返している。

(2011年6月16日付山陽新聞夕刊「一日一題」)
※登場する人物・団体は掲載時の情報です。

(2012年05月31日 更新)

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