(46) 消化器の腹腔鏡手術 天和会 松田病院 岩藤 浩典 外科医長(50) 小さな穴から患部治療 目となる高性能カメラ
「次元が違う」
腹(ふく)腔(くう)鏡手術が国内で広まりだしていた1990年代半ば。岩藤浩典は、勤務先だった済生会今治病院(愛媛県今治市)でそれを見て、心を奪われた。
患者の病名は胆石症。胆汁を一時的に蓄える「胆のう」に、胆汁成分でできた石が詰まり、痛みを引きおこす。岩藤はこの時、胃や大腸などの消化器外科医となって約10年。胆石症手術で慣れた方法と言えば、患部にアプローチするためにおなかを大きく切り開く開腹手術だった。
腹腔鏡手術のアプローチ法は違っていた。直径5ミリ~2センチの穴を、おなかの3~4カ所に開けるだけだった。
穴に取り付けた筒状のガイドから、手術器具の長さ30センチほどのはさみや鉗(かん)子(し)を挿入。おなかを開かないため患部を直視できない代わりに、目となる高性能カメラの腹腔鏡を穴から通して、手術台横のモニターに映した拡大映像を見て治療する。
岩藤は、親子2代で外科医である。
父は、岡山大第1外科出身。岩藤が医師になろうと岡山大に進んだのは自然な流れで、卒業して大学に残る時、複数ある外科系から父と同じ第1外科を所属先に選んだ。
「より良い、より高い技術を身に付けたい」。父の時代も岩藤の時代も、外科医の性分は変わらない。
患者の体への負担は少ない低侵襲が身上で、1週間程度という当時としては比較的短い入院日数で済む腹腔鏡手術を、学ぶべき技術だと確信した岩藤。当時の済生会今治病院副院長だった黒河達雄の下で、学び始めた。
開腹手術をよく知るだけに、腹腔鏡手術を習得する上では有利な部分が多かった。
胆石症を例に取ると、最終的に石を胆のうごと取るのは開腹手術と一緒。従って、胆のうを胆汁の通り道(胆のう管)や動脈から安全に切り離したり、隣り合う肝臓からはがしたりするといった、途中の手順は同じだ。
必要なのは、手順を覚えることではなかった。「モニター映像を見ながら、長さがある手術器具を狭いおなかの中で確実に操る」という、この新しい感覚をつかむことだった。
最初は助手として腹腔鏡を動かしながら、モニター映像と黒河の手の動きを見比べてイメージを把握。2000年に松田病院に赴任するまで術者として、壁が厚くなる胆のう腺筋腫症やポリープも含めた胆のう関連の約100例を担当し自信を深めた。その数は現在、早期の胃がん・大腸がんも含めて約500に達する。
日本内視鏡外科学会のお墨付きと言える技術認定医となった岩藤は「この世界にゴールはありません」と言って、今も修練に励む。
高名な医師による教育用DVD映像を見て、参考になるテクニックを頭の中にインプット。おなかに見立てた箱を使ったトレーニングを重ね、時には県外の訓練施設に出向く。
「倉敷という出身地で診療しているだけに人間関係は濃い。私の担当患者は、父が診た患者の子どもだったこともあります」
住む人の笑顔が見たい―。ひたむきさの原動力は、古里への思いにある。(敬称略)
-------------------------------------
いわどう・ひろのり 倉敷天城高、岡山大医学部卒。国立岩国病院、神戸赤十字病院、済生会今治病院などを経て2000年から松田病院。日本外科学会外科専門医、日本消化器内視鏡学会専門医でもある。医学部時代はサッカー部で活躍。J2ファジアーノ岡山の熱心なサポーター。
胆汁 肝臓で生成され、小腸で脂質の消化を助ける働きを持つ一方、老廃物の集まりでもある。肝臓は小腸の一部(十二指腸)とパイプ(胆管)で結ばれており、胆汁は最終的に十二指腸へ流れ込む。
胆汁と胆のうの関係 肝臓で作られた胆汁は、肝臓と十二指腸をつなぐパイプの途中にある枝道(胆のう管)にいったん入り、貯留タンクとしての胆のうで蓄えられる。食事を取ると胆のうが収縮することで胆汁は枝道からパイプへと向かい、十二指腸に流れる。手術で胆のうが摘出された場合、この貯留タンクがなくなるだけで、胆汁は十二指腸に直接向かう。日常生活に影響はないとされる。
-------------------------------------
外来 岩藤外科医長の診察は、毎週金曜日午前9時~午後0時半と同月曜日午後5時~同6時。いずれも祝日休診。予約も可能で、問い合わせは病院代表電話(086―422―3550)。
松田病院
倉敷市鶴形1の3の10
※登場する人物・団体は掲載時の情報です。
腹(ふく)腔(くう)鏡手術が国内で広まりだしていた1990年代半ば。岩藤浩典は、勤務先だった済生会今治病院(愛媛県今治市)でそれを見て、心を奪われた。
患者の病名は胆石症。胆汁を一時的に蓄える「胆のう」に、胆汁成分でできた石が詰まり、痛みを引きおこす。岩藤はこの時、胃や大腸などの消化器外科医となって約10年。胆石症手術で慣れた方法と言えば、患部にアプローチするためにおなかを大きく切り開く開腹手術だった。
腹腔鏡手術のアプローチ法は違っていた。直径5ミリ~2センチの穴を、おなかの3~4カ所に開けるだけだった。
穴に取り付けた筒状のガイドから、手術器具の長さ30センチほどのはさみや鉗(かん)子(し)を挿入。おなかを開かないため患部を直視できない代わりに、目となる高性能カメラの腹腔鏡を穴から通して、手術台横のモニターに映した拡大映像を見て治療する。
岩藤は、親子2代で外科医である。
父は、岡山大第1外科出身。岩藤が医師になろうと岡山大に進んだのは自然な流れで、卒業して大学に残る時、複数ある外科系から父と同じ第1外科を所属先に選んだ。
「より良い、より高い技術を身に付けたい」。父の時代も岩藤の時代も、外科医の性分は変わらない。
患者の体への負担は少ない低侵襲が身上で、1週間程度という当時としては比較的短い入院日数で済む腹腔鏡手術を、学ぶべき技術だと確信した岩藤。当時の済生会今治病院副院長だった黒河達雄の下で、学び始めた。
開腹手術をよく知るだけに、腹腔鏡手術を習得する上では有利な部分が多かった。
胆石症を例に取ると、最終的に石を胆のうごと取るのは開腹手術と一緒。従って、胆のうを胆汁の通り道(胆のう管)や動脈から安全に切り離したり、隣り合う肝臓からはがしたりするといった、途中の手順は同じだ。
必要なのは、手順を覚えることではなかった。「モニター映像を見ながら、長さがある手術器具を狭いおなかの中で確実に操る」という、この新しい感覚をつかむことだった。
最初は助手として腹腔鏡を動かしながら、モニター映像と黒河の手の動きを見比べてイメージを把握。2000年に松田病院に赴任するまで術者として、壁が厚くなる胆のう腺筋腫症やポリープも含めた胆のう関連の約100例を担当し自信を深めた。その数は現在、早期の胃がん・大腸がんも含めて約500に達する。
日本内視鏡外科学会のお墨付きと言える技術認定医となった岩藤は「この世界にゴールはありません」と言って、今も修練に励む。
高名な医師による教育用DVD映像を見て、参考になるテクニックを頭の中にインプット。おなかに見立てた箱を使ったトレーニングを重ね、時には県外の訓練施設に出向く。
「倉敷という出身地で診療しているだけに人間関係は濃い。私の担当患者は、父が診た患者の子どもだったこともあります」
住む人の笑顔が見たい―。ひたむきさの原動力は、古里への思いにある。(敬称略)
-------------------------------------
いわどう・ひろのり 倉敷天城高、岡山大医学部卒。国立岩国病院、神戸赤十字病院、済生会今治病院などを経て2000年から松田病院。日本外科学会外科専門医、日本消化器内視鏡学会専門医でもある。医学部時代はサッカー部で活躍。J2ファジアーノ岡山の熱心なサポーター。
胆汁 肝臓で生成され、小腸で脂質の消化を助ける働きを持つ一方、老廃物の集まりでもある。肝臓は小腸の一部(十二指腸)とパイプ(胆管)で結ばれており、胆汁は最終的に十二指腸へ流れ込む。
胆汁と胆のうの関係 肝臓で作られた胆汁は、肝臓と十二指腸をつなぐパイプの途中にある枝道(胆のう管)にいったん入り、貯留タンクとしての胆のうで蓄えられる。食事を取ると胆のうが収縮することで胆汁は枝道からパイプへと向かい、十二指腸に流れる。手術で胆のうが摘出された場合、この貯留タンクがなくなるだけで、胆汁は十二指腸に直接向かう。日常生活に影響はないとされる。
-------------------------------------
外来 岩藤外科医長の診察は、毎週金曜日午前9時~午後0時半と同月曜日午後5時~同6時。いずれも祝日休診。予約も可能で、問い合わせは病院代表電話(086―422―3550)。
松田病院
倉敷市鶴形1の3の10
(2012年09月03日 更新)
タグ:
松田病院