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岡山大病院心臓血管外科助教 小林純子(42) 難手術の先に子どもたちの笑顔

小児の先天性心疾患手術を担当する小林助教。反省点を書き記すノートを肌身離さず持ち歩いている

心房中隔欠損症の手術に臨む小林助教(右から2人目)

小林助教の目が男児の心臓に注がれる。「元気になって日常生活を送れるように」と願いながらメスを握る

笠原真悟教授

 岡山大病院(岡山市北区鹿田町)の手術室のベッドに、男児(4)が横たわっていた。すでに麻酔は効き、人工呼吸器が装着された状態だった。

 執刀する心臓血管外科助教の小林純子が黒色のペンを手に取った。男児の体の左側を下にすると、脇の下に5・5センチの線を書き込んだ。そこを切開し、深さ約10センチの所にある心臓を目指すという。

 男児の心臓には生まれつき病気があった。左右の心房を隔てる壁に穴が開いている「心房中隔欠損症」で、外科的に穴をふさがなければならない。ともにメスを握る教授の笠原真悟(60)がベッドを挟み、小林の向かい側に立った。

 午後1時。手術時間を記録するデジタル時計が動き始めた。

トップクラス

 黒い線に沿って、脇の下の皮膚を切る。肋骨(ろっこつ)を分け入り、肺をよける。ドクッ、ドクッ、ドクッ、ドクッ…。力強く脈打つ男児の心臓が見えてきた。

 開始から約1時間、体外で血液を循環させる「人工心肺装置」の出番がきた。小林は臨床工学技士が装置を動かすのを確認してから男児の心臓を止めた。そして心臓を切り開き、心房に開いた穴を素早く縫い合わせていく。再び心臓を動かすと、傷口を縫合するなどして、手術は約3時間で終わった。

 小林が属する「小児心臓血管外科チーム」は、笠原を筆頭に計5人の医師が国内トップクラスの年間350~400例の手術をこなしている。新生児の患者が多いほか、小児の先天性心疾患の中でも難易度の高い症例が集まる。「心臓の岡大」と称されるゆえんだ。

 この日、男児に行った心臓手術は、経験豊富な岡山大だからこそできるものだと小林は言う。心房中隔欠損症の手術は通常、体をあおむけにし、胸の辺りを切開する。術野が大きく、すぐに心臓にたどり着けるからだ。

 今回のように、脇の下の切開だと手術の難易度は上がる上、体格や年齢、病気の状態といった諸条件をクリアする必要がある。しかし、日常生活を送る上でのメリットは計り知れない。気をつけの姿勢だと傷痕は腕に隠れる。襟元が大きく開いたシャツやスクール水着でも気にならない。首都圏からもこの手術を求め、岡山大にやってくる。

 「心臓病の子どもたちがより活発に自分らしく、人生を笑顔で全うできるように」。そんな思いで小林は毎回手術に臨む。

肌身離さず

 目標に掲げるのは「正確で無駄のない手術」だ。海外でもスタッフとして活躍し、手術経験が豊富な笠原、小児心臓手術の世界的権威である佐野俊二前岡山大教授の執刀を間近で見て以降、そう心に刻んでいる。

 手元がわずかでも狂えば命に直結する心臓手術は正確性が求められるだけでなく、患者の負担軽減を目指し、手術時間をいかに短縮させるかが腕の見せどころとなる。いざ手術が始まると迷っている暇はなく、余計な動きは許されない。

 そのために、チーム最年少スタッフの小林は日々努力を怠らない。B5判のノートを肌身離さず持ち歩いている。術後に詳細な術式を記録し、反省点や今後の課題を書き出す。1例、1例を脳裏に焼き付け、次に生かすためだ。ノートは年5、6冊のペースで積み重なっていく。それは小林にとって、子どもたちと真摯(しんし)に向き合ってきた証しでもある。(敬称略)

臨床と研究、目指すは二刀流医師です。

 ―子どものころからスポーツが大好きだったそうですね。

 小学校から高校生まで陸上漬けの日々で、走り幅跳びで全中やインターハイ、国体に出場しました。中学生の時に日本オリンピック委員会(JOC)主催の全国大会で優勝したことは貴重な経験です。

 医師を目指すきっかけの一つが競技中にけがをしたことでした。それからスポーツ医学に関心を持つようになり、古里に恩返しをしようと生まれ故郷・鳥取でスポーツドクターになろうと思ったんです。自分を選手として育ててくれた地元の指導者の皆さんにはいつも感謝していましたから。同じ思いから地域医療にも関心があり、進学先も鳥取大を選びました。

 ―結果的には心臓血管外科医になったんですね。

 地元のためにと決心は固かったはずなのですが…。生理学の講義で「心臓ってすごいな!」と感動し、中でも先天性心疾患に興味が湧いたのです。4年生の夏から全国の小児心臓血管外科を見学する中で、圧倒されたのが岡山大の佐野俊二教授の手術でした。すべての動きが理論に基づき、術後の成績も飛び抜けて良かった。「これだ」と将来は一気に変わり、卒業後は岡山大に移りました。

 ―心臓血管外科医となってから、転機はありましたか。

 カナダのトロント小児病院への留学経験です。岡山大の大先輩で、現地でスタッフとして活躍されている本淨修己先生の研究室で小児心臓移植を、その後、バロン教授の下で丁寧で無駄のない手術をそれぞれ学びました。熱心に指導いただき、手術や研究の知識・技術だけでなく、チームのつくり方に至るまで、多くのことが習得できました。自分の礎となっています。

 ―10年後、どんな医師になっていたいですか。

 より技術を磨き、手術の成績を向上させることはもちろん、研究面にも力を入れたいです。先天性心疾患の子どもは100人に1人の割合で生まれます。先天的な病気全体の中で心疾患が最も多いにも関わらず、発症原因はほとんど分かっていません。なぜ病気になるのか、基礎研究が進めば、よりよい治療法の確立にもつながるはずです。臨床と研究の両立。目指すは二刀流医師です。

小林助教プロフィル

■1980年、鳥取県境港市生まれ。「地元に育ててもらった」との思いが強く、中学生の時には医師を目指すことを決めていた。

■99年、鳥取県立米子東高卒業後、鳥取大医学部に進学。地元に貢献しようとスポーツ医学と地域医療に関心は持っていたものの、心臓領域の奥深さを知り進路を変更。

■2009年、近森病院(高知県)、広島市民病院で研修後、岡山大心臓血管外科へ。研究面では、患者の心臓細胞から作った人工多能性幹細胞(iPS細胞)を心筋に分化させることに世界で初めて成功。

■17年、カナダのトロント小児病院に留学。岡山大出身の本淨修己医師の指導を受ける。

■19年、現地で手術するための資格を取得。同病院心臓血管外科のバロン教授から術法を学ぶ。「新型コロナウイルス禍に見舞われる中、メスを握った日が懐かしい」

■20年、帰国。翌年助教となり、小児心臓血管外科チームの一員に。仕事の日は家族がサポートしてくれる分、休日は夫と中学2年の長男、小学1年の長女に、大好きなイタリア料理を振る舞うのが楽しみ。

     ◇

 心房中隔欠損症 左右の心房を仕切る壁に生まれつき穴が開いている病気。その穴を介して心臓内で異常な血流が生じることにより、心臓と肺に負担がかかり、心不全や息切れを起こす。乳児の場合はミルクが飲めず、発育の遅れが生じることもある。初期の自覚症状はほとんどなく、乳幼児・学校健診で心雑音、心電図異常で見つかることが多い。

     ◇

上司からのひと言・笠原真悟教授

リーダーの役割も期待

 バイタリティーにあふれた人です。外科医であり、研究者であり、妻であり、母親であり…。いつも全力で取り組み、こなしている。家族や職場の同僚の協力があってこそでしょうが、本人の努力がなければできないことです。後輩たちの憧れの的になっています。次に私が期待するのはチームリーダーとしての役割です。将来は日本の心臓血管外科領域を引っ張る存在になってほしいですね。

     ◇

 岡山県内の医療機関で活躍する医師を訪ね、最先端医療に取り組む様子をルポするとともに、その横顔にも迫る。
※登場する人物・団体は掲載時の情報です。

(2023年06月05日 更新)

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