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倉敷中央病院 脳神経外科・脳卒中科部長 黒崎義隆(43) 外視鏡に精通 若きプロフェッショナル

院内にあるステンドグラスの前でカメラに収まる黒崎部長。最新の医療機器を自在に操り、患者の命を救っている

脳腫瘍の摘出手術に臨む黒崎部長(右)。視線の先には大型モニターがあり、3D映像で細部を確認しながら切除を進める

ORBEYEの小型カメラを右手で操作する黒崎部長

黒崎部長が手術で使用するORBEYE。アームの先端に取り付けられたカメラが腫瘍を鮮明に映し出す

脳卒中科沈正樹主任部長

 倉敷中央病院(倉敷市美和)で脳神経外科・脳卒中科部長を務める黒崎義隆(43)は、野球で鍛え上げた腕をがっしりと組み、カメラのレンズを見つめた。外視鏡に精通した若きプロフェッショナルとして、その目は自信にあふれていた。

 眼光がいっそう鋭く変わったのは、手術の時だ。患者の男性=70代=は脳の後頭葉に4センチほどの腫瘍ができていた。激しい頭痛に加え、視野が欠ける「半盲」に悩まされ、約1カ月前に外来を受診した。

 放置しておくとがんはさらに拡大し、命を落とす危険性が高くなる。黒崎は切除を決断し、CT(コンピューター断層撮影)やMRI(磁気共鳴画像装置)を駆使し腫瘍の位置、大きさを正確に把握するなど準備を進めた。

強い味方 

 脳腫瘍手術の成功のポイントは、複雑に入り組む血管や神経をいかに傷つけないかにかかっている。

 そこで外視鏡「ORBEYE(オーブアイ)」が強い味方となる。アームの先端に取り付けられた小型カメラが自在に動き、直径1ミリにも満たない血管を鮮明に捉える。さらに3D映像により、術者は奥行きや深さを確認しながら安全に腫瘍を切除できるという。今回の男性のケースでも採用された。

 手術当日、黒崎はカメラを頭部に近づけたり、見えやすいよう角度を調整したりしていた。実際にスタートすると、後頭部を約4センチ四方に切り開いた。正面に設置された大型モニターを確認しながら、脳の深部に入っていく。目当ての腫瘍を切除した後は、腫瘍組織だけを光らせる蛍光物質を使い、取り残しがないかチェック、約4時間で手術は終わった。

 日本のメーカーが2017年に開発したORBEYE。同病院は岡山県内の医療機関では最も早い20年に導入した。現在は脳腫瘍の予定手術のほぼ全例をORBEYEで実施し、その中心に黒崎がいる。

 それまで主に使われていた顕微鏡だと、レンズをのぞき込みながらの手術となるので視野が狭くなる欠点があった。さらにORBEYEのようにレンズが動かないため、腫瘍の場所によっては患者はうつぶせや椅子に座った状態で手術を受けなければならなかった。

 黒崎は「術者も顕微鏡下では腰を曲げた不自然な体勢でメスを握る時もあった。ORBEYEは頭を上げた楽な姿勢がとれ、より安全で確実な手術が可能になった」と説明する。

油断しない 

 医療機器がいかに進歩しても、大血管からの突然の出血など、不測の事態が生じることがある。経験豊富な黒崎でも万一の時には「頭が真っ白になり、意識が遠のく」と打ち明ける。

 そうした緊急時には「まず現状を正確に把握する。次に一人で対処しようとせず、必要があれば周囲に助けを求める」と決めているそうだ。

 その方針は高校時代の経験に基づく。甲子園を目指し、城東高(岡山市)で野球の練習に明け暮れていた日々。当時の山崎慶一監督から「ミスが出るのは仕方がない。大事なのはその後、どう行動するかだ」とたたき込まれたという。

 黒崎は監督が言う「ミス」を「不測の事態」に置き換え、手術に臨むだけでなく、さらなる高みも目指している。「どんなに経験を積んでも、医療機器を使いこなしても決して油断しない。これからも自分の腕と心を磨き続ける」。(敬称略)

「その治療は本当に最適か」自らに問う

 ―野球少年だったんですね。

 小学生から始めて、大学まで続けました。高校時代のポジションは二塁手で、甲子園を目指していました。残念ながら夢はかないませんでしたが、練習に明け暮れたおかげで体力には自信がつきました。過酷な研修医時代を乗り越えられたのも野球のおかげですね。

 ―いつから医師になろうと思ったのですか。

 中学時代ですね。最初は将来像を描けずにいて、担任から「どんな方面に進みたいの?」と尋ねられることが苦痛でなりませんでした。自分で考えたいくつかの選択肢の中に医師があったんです。

 ―脳神経外科医としてのやりがいは。

 大学で医学を学ぶうち、難手術が多く、他の医師も敬遠しがちな脳神経外科に挑もうと思いました。病状が厳しい患者がいる一方、手術で救える患者も多いんです。自分の腕を磨きさえすれば、たくさんの人を助けることができる、すばらしい診療科です。

 脳神経外科領域は医療機器の技術革新が急速に進んでいるのが特徴で、それまで不可能だった手術も可能になっています。例えば目視できないような細い血管は拡大して見えるようになりました。ORBEYEはより鮮明に観察できます。他にも腫瘍を光らせ、正常組織との境界を正確に把握できる手法も確立されています。

 ―普段心掛けていることは。

 患者に治療法を提示する際、本当に最適か、無理はしていないか、常に自らに問い続けています。これは研修医時代に一緒に働いた吉田和道先生(現滋賀医科大脳神経外科学教授)から「自分の家族にも同じ治療をするか、患者を家族に置き換えてみなさい」と教えられたのがきっかけです。

 吉田先生は他にも、治療法を定めたガイドラインに頼り切るのではなく、自らの頭で考える大切さも教えてくださいました。私自身、後輩を指導する立場になった今、先生のメッセージを次の世代に伝えていきたいです。

黒崎部長プロフィル

■1980年、岡山市生まれ。小学2年生から地元町内会の野球チームに所属する。中学時代、将来の職業を弁護士か医師に絞り、理系が得意だったことから医師を志す。好きな野球も続けようと、城東高に進みレギュラーとして活躍するものの、甲子園出場はかなわなかった。

■98年、順天堂大医学部に進学、外科系を目指すようになる。脳神経外科を選んだのは「最難関の手術を行う科の一つだから」。

■2004年、大学卒業後の初期研修先として倉敷中央病院を選ぶ。2年後の後期研修でも同病院に残り、脳神経外科で経験を積む。そこで吉田和道医師と出会う。技術だけでなく、医療者としての心構えを学び、その教えを今も大切にする。

■09年、同じ病院に長くいると慣れが出てしまうと考え、北野病院(大阪市)に赴任。患者も多く、さまざまな手術を経験する。

■11年、倉敷中央病院に戻り、20年に脳神経外科部長。自らメスを握る一方、後輩を指導する立場になる。息抜きは走ること。特に「おかやまマラソン」は欠かさず出場している。

     ◇

上司からのひと言・倉敷中央病院脳神経外科・脳卒中科沈正樹主任部長

診療は丁寧で信頼も厚い

 10年以上、黒崎先生と一緒に働いています。診療は丁寧で患者や医療スタッフからの信頼はとても厚いです。精神的にも肉体的にも充実していると感じるのが手術の時。想定外の事態が起こっても決して動じず、集中力を途切れさせないのはさすがです。今、科内で最も脂が乗っている医師の一人といえるでしょう。さらに経験を積み、将来は脳の外科手術の第一人者になってほしいですね。
※登場する人物・団体は掲載時の情報です。

(2023年08月07日 更新)

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