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父の思い出 万成病院理事長・院長 小林建太郎

 今年も残すところ4日となった。例年この時期は各テレビ局で、今年の十大ニュースが流れている。新しい年を迎えるにあたり、自分自身の1年を顧みることは大切である。この忙しい時に、と思う人ほど振り返ってもらいたい。

 私にとって今年の最大の出来事は、父の死去であった。4月19日、父・滋は92歳で旅立った。年齢に不足はなかったが、直前まで病院やロータリークラブの例会に出ていただけに、まさに青天のへきれきであった。家に帰ると救急車が止まっており、救急隊員が心臓マッサージをしていた姿が頭から離れない。

 父は人と会うことが好きだった。人との出会いを大切にし、出会った人にも恵まれていた。誰にでもやさしく温厚であり、家族を愛してくれた。最期まで大切にしていたのは病院、ロータリークラブ、茶道とのつながりであった。

 病院では患者さん、スタッフのことを気にかけ、ロータリーでは何よりも例会出席を重んじていた。2月に裏千家の大宗匠より声をかけていただいたことをうれしく語っていた。昭和29(1954)年7月17日の開院以来ずっと、万成病院(岡山市北区谷万成)を背負ってきた父であった。

 人間の記憶は不思議なものである。父の死後1カ月半は、外出したくなかったし、人とも会いたくなかった。ちょっとした話から涙が止まらなくなった。立場上、いろいろな席でのあいさつも多かったが、言葉が出なくなることもあった。

 8カ月が過ぎ、父の死がもう何年も前だったような気がしてならない。人の記憶には記銘・保持・想起という過程がある。情報を覚え、保存して、思い出すのである。心の平安には忘却も必要なのかもしれない。

 父のいない初めての正月が来る。その前に、明日は母の誕生日である。

(2012年12月27日付山陽新聞夕刊「一日一題」)
※登場する人物・団体は掲載時の情報です。

(2012年12月27日 更新)

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