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「想定外」へ体制強化 県内の緊急消防援助隊とDMAT

合同研修で人命救助の手順を確認する県内の救助隊員=岡山市中区桑野、市消防教育訓練センター

 大規模災害時、県境を越えて駆け付ける消防チーム「緊急消防援助隊」と、救急救命に尽くす医療チーム「DMAT(ディーマット)」。それぞれ高い専門性、機動性から有事の活躍が期待されるが、「想定外」の事態が相次いだ東日本大震災では、岡山県内の両チームは思うような活動ができないなど苦い経験を味わった。次の災害に備え、個々のスキルアップ、高度な資機材の調達など体制強化が急がれる。

 「体が冷えないよう、しっかりくるんで!」。2月下旬、岡山市消防教育訓練センター(同市中区桑野)。がれきの下から救出する負傷者をブルーシートで保護したレスキュー隊員に指導役の職員から厳しい指示が飛ぶ。

 県内の全14消防局・本部による合同研修会の一こま。救助の第一線を担う約50人が参加した。技術と意識の向上、統一化を狙いに初めて開催され、「定期的に行い、県全体のレベルアップにつなげたい」と代表機関の岡山市消防局。それには訳がある。

困難に遭遇 

 1995年の阪神大震災を機に誕生した両チームだが、東日本大震災では想定を超える困難に遭遇した。

 通信インフラの被災により、十分な情報が入らない。車両の燃料不足も深刻で、本来、発生直後に活動すべき両チームの拠点到着は、出発から2日後。現地活動では、消防本部ごとで資機材の使い方が異なったり、知識や経験の差も浮き彫りになったというのだ。

 援助隊は、10日間で約300人が行方不明者の捜索やコンビナートの残火処理に従事。DMATは4日間で5チーム27人を派遣した。一員だった岡山赤十字病院第2麻酔科部長の奥格(さとる)医師(50)は「急性期外傷への対応を想定していたが、実際は内科的ニーズが多かった。情報も錯綜(さくそう)し、行き先が何度も変わるなど満足な活動ができたとは言い難い」と振り返る。

隊員確保に力 

 一方で、この未曽有の災害を教訓にした取り組みは徐々に広がりをみせている。

 国や県は震災以降、それぞれに衛星通信機器や多機能情報端末、移動用車両などを配備した。

 援助隊はショベルカーのバケット部分を油圧旋回フォークや油圧切断機に交換できる重機と搬送車、津波、水害時に使う水陸両用バギーを搭載した特殊車両などを導入、操作、運転できる隊員の養成を進めている。

 DMATは隊員確保にも力を入れ、この3年間で新たに4病院27人が登録。消防、県警、自衛隊、医師会など関係機関との合同訓練にも積極的に参加し、連携強化を目指す。

 岡山大大学院医歯薬学総合研究科の氏家良人教授(救急医学)は「地震による家屋倒壊、津波、原発事故が関係する災害、夜間の対応などあらゆるシチュエーションで訓練が必要。活動全体を統括する人材の育成も急務だ」とする。


 【緊急消防援助隊とDMAT】 1995年、阪神大震災での「避けられた死」を教訓に、国の呼び掛けで設置。主に都道府県ごとで組織される。“自己完結”が原則で、活動予定期間中の食料や飲み物、資機材などを持参する。消防隊員で構成される緊急消防援助隊に対し、DMATは国の研修を受けた医師、看護師ら医療従事者で編成される。
※登場する人物・団体は掲載時の情報です。

(2014年03月12日 更新)

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