旭川荘創設者・川崎氏を語る 元県審議監の信朝さん講演
岡山市北区祇園、社会福祉法人・旭川荘の創設者、川崎祐宣氏(1904~1996年)の生誕110周年を記念する講演会が19日、同柳町、山陽新聞社さん太ホールで開かれ、故三木行治知事の秘書を12年間務めた元県審議監の信朝寛さん(81)=同市中区=が川﨑氏、三木氏の思い出を語った。
岡山医科大(現岡山大医学部)時代からの親友だった川崎氏の旭川荘設立を支えた三木氏について、信朝さんは「料理屋に自ら肉を持参して振る舞うサービス精神の持ち主」「酒好きの川崎氏を親しみを込めて『かわさけ』と呼び、決して悪く言わなかった」などと紹介した。
当時は結核が流行していたが、「医師一人の力では限りがある。多くの患者を救うには政治が必要」と、勤務医から行政官に転身。当時の厚生省に入って出世を続けた三木氏に、川崎氏が岡山県知事選への出馬を勧めたエピソードも明かし、「岡山の医療、福祉の発展に向け、相照らしながら歩んだ2人だった」と締めくくった。
旭川荘が主催し、約300人が聞いた。
※登場する人物・団体は掲載時の情報です。
岡山医科大(現岡山大医学部)時代からの親友だった川崎氏の旭川荘設立を支えた三木氏について、信朝さんは「料理屋に自ら肉を持参して振る舞うサービス精神の持ち主」「酒好きの川崎氏を親しみを込めて『かわさけ』と呼び、決して悪く言わなかった」などと紹介した。
当時は結核が流行していたが、「医師一人の力では限りがある。多くの患者を救うには政治が必要」と、勤務医から行政官に転身。当時の厚生省に入って出世を続けた三木氏に、川崎氏が岡山県知事選への出馬を勧めたエピソードも明かし、「岡山の医療、福祉の発展に向け、相照らしながら歩んだ2人だった」と締めくくった。
旭川荘が主催し、約300人が聞いた。
(2014年11月20日 更新)
タグ:
旭川荘療育・医療センター