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第1部 さまよう患者 (3) 選択肢 「産みたい」希望つなぐ

恋人の瀧口裕一さんとデートを楽しむ阪井さん(左)。将来、子どもを持つ望みがつながり、夢が膨らむ=昨年12月、和歌山市

 <やや進行したがんでも子宮を温存できる手術>

 <妊娠、出産の可能性も残る>

 そう書かれた1枚のプリントが、阪井恵津子さん(33)=和歌山市吉田=の希望をつないだ。

 昨年5月、和歌山市の総合病院。子宮 頸 ( けい ) がんの検査のため1週間入院し、退院の朝。子宮を全摘出する手術の日程も既に決まっていた。

 「決して勧めているわけではありませんよ」。そう言ってプリントを手渡してくれたのは、病室を訪れた男性主治医。阪井さんはいても立ってもいられず、数日後には温存手術ができる倉敷成人病センター(倉敷市白楽町)の診療室にいた。

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 病巣のある子宮入り口の頸部と周辺のみを切除し、妊娠にかかわる体部を温存する―。国内ではまだ新しい手術法だ。長期的な治療成績にも乏しい。

 しかし、阪井さんは合併症の危険なども納得した上で、7月に温存手術に踏み切った。

 「どうしても希望を封印することができなかったから」

 がんは4月に見つかった。主治医からは「進行していて、子宮の全摘手術になる。不妊を覚悟してほしい」と告げられた。

  躊躇 ( ちゅうちょ ) させたのは、付き合って2年の彼の存在だ。結婚も意識していた。「将来、子どもを産みたい」。その思いは、がんの不安におびえながらも日増しに強くなっていった。

 夜通しインターネットで治療法を調べ、彼や看護師の母のつてで産婦人科を何カ所も訪ね歩いた。主治医にも繰り返し問い直した。でも、答えはいつも同じだった。

 「子宮の全摘手術が『標準治療』です」

 そこに、患者の選択肢はなかった。

  ~

 がんに限らず、それぞれの病気ごとに確立されている標準治療。エビデンス(科学的根拠)に基づき、学会などが効果を認めたものだ。医師はこの治療を行うのが一般的で、医師や地域の治療法のばらつきを減らすことにもつながっている。

 子宮頸がんも早期については温存手術も有効とされるが、高度な手技が必要なため全国で実施医療機関はまだ数カ所。健康保険も適用されない。倉敷成人病センターの場合で平均160万円の治療費は全額患者負担だ。

 だが成績を底上げする標準治療には一方で、こんな声もある。

 「医療のさらなる進歩を妨げ、患者や社会の不利益に作用する側面がある。標準外のものについても、医師は患者に情報を伝えるべきだ」(同センターの安藤正明副院長)

  ~

 「将来、妊娠、出産にチャレンジできる可能性は高いですよ」。阪井さんは1月22日、術後の経過観察のため同センターを受診。執刀した安藤副院長の言葉に笑顔を見せた。

 センターで2001年以降、温存手術を受けたのは50人余。このうち、少なくとも8人は妊娠にこぎつけた。一方、がんが再発した女性も1人いる。阪井さんは言う。

 「医師が標準治療を重視するのは理解できる。でも、他に方法があるのに知らないまま子宮を全摘していたらと思うと…。仮に再発しても、受け入れる覚悟はできてます」
※登場する人物・団体は掲載時の情報です。

(2010年02月02日 更新)

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