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第2部 「いのち」と向き合う (7) 第2の患者 感情さらけ出し冷静に

訪問看護師の黒川さん(左)と夫の在宅療養を振り返る岡〓さん

 アロハシャツを着た遺影の顔がはにかんでいた。ハワイで行った長女の結婚式。家族全員が憩った日だまりの客間には、今でも当時の写真やシャツが飾ってある。

 「また行きたいって言ってたけどね…」

 岡〓 浄恵 ( きよえ ) さん(56)=岡山市南区福田=は昨年6月、夫の勲さん=当時(58)=をここでみとった。

 2008年8月、胃がんの手術後に、リンパ節への転移が判明。進行度は「6段階の5」。岡山大病院(同市北区鹿田町)で抗がん剤治療を始めたが、たちまち副作用に襲われた。口内炎で食事も満足にとれなくなった。

 治療への迷い、接し方の戸惑い…。中でも浄恵さんがつらかったのは、弱音を吐いたことのない夫が行き場のない怒りやつらさをぶつけてきたときだ。

  ~

 浄恵さんは岡山大病院の看護師。がん患者も数多くみてきた。

 「でも、家族となると全く別。何とかしてあげたいけど、このままでは自分もつぶれると思った。助けがほしかった」

 昨年3月になって、浄恵さんは痛みが激しいことを相談した主治医に紹介され、在宅緩和ケアを行っているかとう内科並木通り診療所(岡山市南区並木町)を夫と2人で受診した。その数日後、思い切って電話で「SOS」を出した。

 「どうしていいか分からない」

 電話に応対したのは、ソーシャルワーカーの横山幸生さん(38)。浄恵さんは一気に募っていた苦しさをはき出した。30分がたったころ、胸のつかえがとれたのを感じた。

 「私がこんなんじゃ、夫がかわいそう」。冷静さを取り戻し、痛みをコントロールするために、診療所への約1カ月間の入院を決めた。

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 「渦巻く感情をさらけ出すことで気持ちが整理でき、次の段階に進める」。横山さんはいう。がん治療は見守る家族の苦悩も深い。「第2の患者」ともいわれる。

 昨年5月、岡〓さん夫婦は大きな決断を迫られた。抗がん剤治療のため岡山大病院へ再入院。がんに圧迫されて十二指腸がふさがり、血の混じった 嘔吐 ( おうと ) が出た。器具で広げる治療もあるが、リスクは高い。

 勲さんは体重が20キロ減って42キロほどになり、衰弱していた。浄恵さんは「本当に本人のためになるのか」と悩んだ。そんな時、見舞いに来たかとう内科の加藤恒夫院長(62)から「残された時間などから慎重に考えては」と助言を受けた。

 「家へ連れて帰ろう」。介護休暇を取得して、独立して岡山市内に住む3人の子どもにも協力を仰いだ。勲さんもどこかほっとした様子だった。

  ~

 翌月、住み慣れた自宅での療養が始まった。往診は加藤院長。黒川 純世 ( すみよ ) さん(47)が毎日の訪問看護を担った。

 黒川さんは夫を突然死で失った体験がある。何もできず、別れの言葉も言えなかったつらさを知っている。

 浄恵さんは点滴の交換や体をふくなどの日常看護を「自分たち家族でやりたい」と希望した。黒川さんはサポート役に回った。その代わり、電話などで連絡を取り合い、常に看護の方針について話し合っていった。


(注)〓は崎の「大」の部分が「立」
※登場する人物・団体は掲載時の情報です。

(2010年03月03日 更新)

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