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17 手術台 麻酔直前またサイン

レシピエントの執刀前処置が進む手術室。すでに私の気管にチューブが挿管され吸入麻酔が始まっている

 手術室へようこそ。といっても、ここから先は手術台に横たわっている本人にとっては「月の裏側」の世界。ブラック・ジャック先生ならぬ身では、自分の手術を観察するのは不可能だ。13時間10分に及んだ大手術の一部始終を見届けてくれた井上光悦記者(社会部)と池上勝哉記者(写真映像部)の目を借りて、昨年3月18日の模様を再現してみよう。

 手術日はせわしない。午前6時に起床。 浣腸 ( かんちょう ) してもらってさんざトイレにこもり、T字帯を締めて青い患者衣に着替え。きっつい弾性ストッキングを無理やりはかされる。体を動かせない術後は血栓ができやすい。いわゆるエコノミークラス症候群の予防のためだ。

 両親はもちろん親類も大勢駆けつけてくれたのだが、今生の別れを惜しむ… 暇 ( いとま ) などない。鼻からゴックンと飲み込む胃管(レビンチューブ)にむせかえっているうちに、車いすで入院棟を出発。時計の針は8時52分を指している。

 手術台に上り、さあ、辞世の一句を詠む…どころではない。氏名と生年月日を確認し、点滴の留置針を刺し入れられ、いよいよ始まるのかと思いきや、麻酔医の先生たち、なにやら探している。

 「おかしいなあ。同意書にサインしてもらったよね」。そんなことを言われましても…インフォームドコンセントで何枚も署名 捺印 ( なついん ) 致しましたのに…。「悪いけど、もう一度ここにサインして」。身ぐるみはがれたあおむけの体勢で、ボールペンを握らされた。

 岡山大病院(岡山市北区鹿田町)の手術室は中央診療棟に13室あり、2008年度は8133件の手術が行われた。この日は私が第5、ドナーの弟が第3手術室をあてがわれ、その間の第4手術室は摘出したドナーのグラフト(移植片)を保存、前処置する「バックテーブル」に充てられている。

 術者、第1助手(前立ち)、第2助手、麻酔医、器械出し・外回りの看護師らがドナー、レシピエント双方に張り付く。交代要員も含めれば20人以上のスタッフが携わる。医師や看護師の不足問題がかまびすしい中、移植には大変な医療資源が費やされている。

 9時40分。私が静脈麻酔で意識を失ったころ、先に入室した弟のおなかは大きく切り開かれ、手術用 鉤 ( かぎ ) でがっちり固定されていた。術者は貞森裕医師( 肝胆膵 ( かんたんすい ) 外科助教)。肝臓が姿を現すと、「どこに血管があるのか分からない。もっと突き上げて」。術野を広げるよう、素早く助手に指示を出す。

 弟は全身麻酔の前に硬膜外麻酔も受けた。「チーム・バチスタの栄光」(海堂尊著、宝島社)のキーワードになった「エピドラ」だ。背骨のすき間(硬膜 外腔 ( がいくう ) )にカテーテルを留置し、随時、局所麻酔薬を注入して術後の痛みに対処できるようにしておくのだが、目覚めると、誤ってカテーテルが抜けてしまっていたらしい。ずいぶん痛い目に遭わせてしまった。

メモ

 ブラック・ジャック ご存じ手塚治虫先生が生み出したブラック・ジャック(BJ)は自分で自分の手術を執刀する。「ディンゴ」では、オーストラリアの大平原で寄生虫エキノコックスの変種に冒されたBJが、独力で開腹手術を決行する。キツネ、イヌなどの動物を終宿主とするエキノコックスは、ヒトに経口感染すると主に肝臓で増殖し、10年以上かかって重篤な黄疸(おうだん)や腹水症を引き起こす。
※登場する人物・団体は掲載時の情報です。

(2009年08月10日 更新)

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