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33 胆道閉鎖症 「みとり」考えたくない

内田ふみ野ちゃんは体重12キロになり、すくすく育っている。写真家の父伸一郎さんのアルバムも最近はふみ野ちゃんの笑顔があふれている=今年11月撮影

 生後8カ月のちっちゃな内田ふみ野ちゃんが生体肝移植に臨まなければならなかった胆道閉鎖症について、もう少し触れておく。

 日本では1万人に1人、年間約100人の赤ちゃんがこの病気を背負って生まれる。肝臓でつくられた胆汁が十二指腸へ流れるルートが詰まり、 鬱滞 ( うったい ) するために肝臓組織が壊れてゆく。

 胆汁酸はコレステロールの代謝に欠かせず、脂肪を溶かす(乳化する)働きがある。大部分は食事後に回腸で吸収され、肝臓へ戻って循環するのだが、ひとたび流れが滞ると、その強力さゆえに自分の肝臓であっても傷つけてしまう。

 原因は諸説あるがはっきりせず、難病(小児慢性特定疾患)に指定されている。

 ふみ野ちゃんは、岡山市北区に住む伸一郎さん(30)、いづみさん(32)夫妻が2007年7月に初めて授かった 愛娘 ( まなむすめ ) 。1カ月検診で軽い 黄疸 ( おうだん ) はみられたが、特に疑いは持たなかった。健康な子どもも10日くらいは新生児黄疸がある。難病と知るよしもなかった。

 ところが3カ月になっても黄疸はひかない。精密検査で胆道閉鎖症が判明。治療法は外科手術しかない。

 最初に試みられるのは、胆管の詰まった部分をバイパスして空腸へ直接つなぎ直す「葛西手術」。葛西森夫東北大名誉教授(昨年12月死去)が考案し、世界標準となっている手術法だ。

 しかし、生後2カ月目までに受けなければ成功率は低下する。ふみ野ちゃんは2度、葛西手術を受けたが、胆汁の流れはすぐに止まってしまった。

 肝硬変が進み、腹水がたまっておなかが膨れあがり、座れなくなった。成功率が極めて低いことを承知で3度目の葛西手術を受けるか、これ以上おなかにメスを入れず、静かに「みとり」の時間を持つか、それとも―。

 主治医が最後に示してくれたのが移植の選択肢だった。

 「『みとる』なんて考えたくもなかった」と伸一郎さん。いづみさんも「ドナーになるのはまったく怖いと思わなかった」と振り返る。二人の間に迷いはなかった。

 ふみ野ちゃんが苦しげな 咳 ( せき ) をするようになった。腹水だけでなく胸水もたまり始めている。岡山大病院肝移植チームのチーフ八木孝仁医師( 肝胆膵 ( かんたんすい ) 外科長)は、当初昨年4月の予定だった手術を繰り上げ、3月20日の緊急手術を指示した。

 私の手術(同18日)の終了翌日だ。16日にも緊急手術をこなしていたスタッフはくたくただったに違いないが、ふみ野ちゃんの命は瀬戸際にあった。

 退院後、 水疱瘡 ( みずぼうそう ) (水痘)で再入院を経験したものの、現在のふみ野ちゃんは元気いっぱい。くるくると目を動かして片言を発し、手術前のうつろな目を覚えている両親は「こんなに活発な子だったなんて」と驚くばかり。

 何度もおなかにメスを入れ、ICU(集中治療室)では急性拒絶反応を疑い、肝臓に針を突き刺す肝生検も受けた。その痛みはふみ野ちゃんに何を残したのだろう。

 「毎日、目が覚めて生きていることがありがたい。普通の子よりも身近な幸せに気づくことができるんじゃないかしら」。いづみさんはそう思っている。


メモ

 胆道閉鎖症の子どもを守る会 胆道閉鎖症の子どもを抱える家族を中心に1973年に立ち上げた自助組織。治療についての情報交換、専門病院の案内などを行い、年4回の会報を発行している。症状を早期発見するための啓発、医療費助成を求める陳情活動にも力を入れている。東京・巣鴨に本部事務所(03―3940―3150)を置き、岡山など各地に支部がある。
※登場する人物・団体は掲載時の情報です。

(2009年12月28日 更新)

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