高次脳機能障害 家族のあした(上) 孤独 理解できぬ、されぬ苦悩 理解できぬ、されぬ苦悩
日没が近づいた。自宅リビングに静かに座る夫が、よそよそしく言う。
「そろそろ(おうちに)帰ったらどうですか…」
「またか」。真庭市に住む田村美幸さん(54)=仮名。仕方ないと分かっていても、無性に悲しくなる。
夫の友彦さん(54)=同=は5年前に大脳の一部を損傷、20年来の夫婦生活の記憶がすっぽりと抜け落ちた。新たに物事を覚えられず、ご飯は美幸さんが促さないと食べようとしない。冷蔵庫からお茶を出してきてと頼むと、いろんな扉を次々と開けていく。
感情のコントロールも難しく、ふいに家を出て行く友彦さんは、片時も目を離せない。
美幸さんは時折、あふれ出すような徒労感に襲われる。
「夫は何がしたいのか、一緒にいるのに分かってあげられない。それが、つらい」
■ ■
友彦さんは2004年11月、職場の駐車場で狭心症の発作を起こして倒れた。
救急車が着いた時、既に心停止から30分近く経過していたというが、救急救命士のAED(自動体外式除細動器)による処置で奇跡的に 蘇生 ( そせい ) 。植物状態が続くと言われていた10日目に目覚め、みるみる元気になった。
だが、美幸さんが心から「よかった」と喜んだのはつかの間だった。何日たっても友彦さんは病院にいると理解できない様子で、うつろな目で 徘徊 ( はいかい ) しはじめた。
「社会復帰はできないでしょう」。担当医から告げられた診断は低酸素脳症による高次脳機能障害。美幸さんが聞いたこともない言葉だった。
■ ■
事故や病気で脳にダメージを受け、損傷部位によって物忘れ、注意力低下などさまざまな症状が現れる高次脳機能障害。医療技術の進歩で重い症状でも救命可能になったことを背景に増えたとされ、全国で約30万人との推計もある。
他人には分かりにくいため「見えない障害」ともいわれる。「治ってよかったじゃない。物忘れくらい誰でもあるよ」。そんなささいな言葉にも、美幸さんは傷ついた。
それでも、夫の社会復帰に望みを抱き、できることは全部した。「あ行」からの発声練習。なじみの場所に連れて行き、記憶を呼び戻そうと努めた。勤めていた会社にもリハビリ目的で出勤させた。でも、だめだった。
<常に(夫への)声かけに疲れ><最悪、自分の体に不調現る>―。美幸さんは日記に、思いのたけを殴り書きした。それしか、耐えるすべがなかったからだ。築いてきたものが音を立てて崩れる気がした。
■ ■
障害の情報を求めては、目を離せない夫を連れて県内外の法律相談会や講演会に出掛けた。司法書士、弁護士、ケアマネジャー…。訪ねた専門家の名刺は60枚近くになった。
退院したころ、真庭市には専門のリハビリ施設も、すぐに通える福祉施設、相談窓口もなかった。でも夫との思い出が詰まった、住み慣れた真庭市を離れたくはなかった。美幸さんは保健所で相談に乗ってもらった保健師に詰め寄った。
「どうやってここで暮らしたらいいの」「他の人たちはどうしてるの」
美幸さんが発し続けた言葉がその後、大きな契機となった。
◇
社会の認知度がまだまだ低い高次脳機能障害。懸命に支える家族の“あした”を求めて生きる姿を追った。
※登場する人物・団体は掲載時の情報です。
「そろそろ(おうちに)帰ったらどうですか…」
「またか」。真庭市に住む田村美幸さん(54)=仮名。仕方ないと分かっていても、無性に悲しくなる。
夫の友彦さん(54)=同=は5年前に大脳の一部を損傷、20年来の夫婦生活の記憶がすっぽりと抜け落ちた。新たに物事を覚えられず、ご飯は美幸さんが促さないと食べようとしない。冷蔵庫からお茶を出してきてと頼むと、いろんな扉を次々と開けていく。
感情のコントロールも難しく、ふいに家を出て行く友彦さんは、片時も目を離せない。
美幸さんは時折、あふれ出すような徒労感に襲われる。
「夫は何がしたいのか、一緒にいるのに分かってあげられない。それが、つらい」
■ ■
友彦さんは2004年11月、職場の駐車場で狭心症の発作を起こして倒れた。
救急車が着いた時、既に心停止から30分近く経過していたというが、救急救命士のAED(自動体外式除細動器)による処置で奇跡的に 蘇生 ( そせい ) 。植物状態が続くと言われていた10日目に目覚め、みるみる元気になった。
だが、美幸さんが心から「よかった」と喜んだのはつかの間だった。何日たっても友彦さんは病院にいると理解できない様子で、うつろな目で 徘徊 ( はいかい ) しはじめた。
「社会復帰はできないでしょう」。担当医から告げられた診断は低酸素脳症による高次脳機能障害。美幸さんが聞いたこともない言葉だった。
■ ■
事故や病気で脳にダメージを受け、損傷部位によって物忘れ、注意力低下などさまざまな症状が現れる高次脳機能障害。医療技術の進歩で重い症状でも救命可能になったことを背景に増えたとされ、全国で約30万人との推計もある。
他人には分かりにくいため「見えない障害」ともいわれる。「治ってよかったじゃない。物忘れくらい誰でもあるよ」。そんなささいな言葉にも、美幸さんは傷ついた。
それでも、夫の社会復帰に望みを抱き、できることは全部した。「あ行」からの発声練習。なじみの場所に連れて行き、記憶を呼び戻そうと努めた。勤めていた会社にもリハビリ目的で出勤させた。でも、だめだった。
<常に(夫への)声かけに疲れ><最悪、自分の体に不調現る>―。美幸さんは日記に、思いのたけを殴り書きした。それしか、耐えるすべがなかったからだ。築いてきたものが音を立てて崩れる気がした。
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障害の情報を求めては、目を離せない夫を連れて県内外の法律相談会や講演会に出掛けた。司法書士、弁護士、ケアマネジャー…。訪ねた専門家の名刺は60枚近くになった。
退院したころ、真庭市には専門のリハビリ施設も、すぐに通える福祉施設、相談窓口もなかった。でも夫との思い出が詰まった、住み慣れた真庭市を離れたくはなかった。美幸さんは保健所で相談に乗ってもらった保健師に詰め寄った。
「どうやってここで暮らしたらいいの」「他の人たちはどうしてるの」
美幸さんが発し続けた言葉がその後、大きな契機となった。
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社会の認知度がまだまだ低い高次脳機能障害。懸命に支える家族の“あした”を求めて生きる姿を追った。
(2009年10月05日 更新)
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脳・神経