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第5部 公立病院の苦悩 (2)再建 壊れた体制 難しい道筋

休止して1年半になる千葉県銚子市の市立総合病院=4月6日

 照明が消えたロビー。薄暗がりに整然と並んだソファが浮かび上がる。中央のテレビは厚いほこりをかぶっている。

 経営難から、2008年9月末で休止した千葉県銚子市の市立総合病院。4月上旬に訪ねると、医療スタッフや患者が行き交った院内は物音ひとつ聞こえなかった。

 同病院は6日、内科外来のみようやく診療を再開する。

 「市民の要望に応えることができ感無量だ。ただ、医師確保が引き続き課題。必死に探している」

 1日に再開を祝い病院前でテープカットした野平匡邦市長は話した。

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 休止を決めた前市長のリコールによる昨年5月の出直し選挙で返り咲いた。旧自治省出身。かつて岡山県副知事を務めた。

 「病院の休止は『経営なき破たん』。病院も(過去の)行政もあまりに経営に 無頓着 ( むとんちゃく ) だった」。野平市長は反省を込め振り返った。

 野平市政1期目の06年度、毎年9億円を補助しながら赤字を続ける病院経営を立て直そうと、補助を7億2千万円に減額、経営努力を求めたのが混乱のきっかけになったからだ。

 補助金減額に医師を派遣していた大学側が反発。医師の引き揚げが相次いだ。同年7月の市長選で再選を目指した野平市長を破った前市長は予算を復活したが、経営悪化は止まらず、06年に35人いた常勤医は2年後に13人にまで激減。ついに「病院の休止」を決断した。

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 「休止することはなかった」。野平市長はそう前市長を非難しながらも、「経営に対する行政と病院の考えはまるで“異文化衝突”だった」と振り返る。

 公設民営で運営は再開したが、常勤の医師は1人しか確保できなかった。将来は入院を再開、2013年度末には休止前の半分の200床まで戻す計画だが、黒字にするには「常勤医が30人は必要」と、再建の指揮を執る市病院再生室の宮内康博室長はため息を漏らす。

 「一度、医療体制が壊れたら、元に戻すことは本当に難しい」

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 一方、医師が大量退職、08年度に大幅な赤字に転落した倉敷市立児島市民病院(同市児島駅前)。地域ぐるみの取り組みで存続の道を探っている。最悪の事態は避けられた。

 同年9月には地元医師会や自治会、市職員労働組合などが参加して「市立児島市民病院を守り、地域医療を考える会」を設立。病院の正常化を求める約4万1千人の署名を集め、市や医師派遣元の岡山大に提出した。

 「住民になくてはならぬ病院。開業医と連携しながら患者を診る『開放病床』もあり、医師会も頼りにしている」と三宅八郎児島医師会長。病院の庭の 剪定 ( せんてい ) や清掃奉仕を始める住民有志も現れた。

 今年4月、同大出身の内科医2人が赴任。「(岡山大の協力は)住民運動の力が大きかった。苦い過去を教訓に、病院は良い方向に向かい始めた」。江田良輔院長は喜ぶ。

 しかし、08年10月に中止した 分娩 ( ぶんべん ) 再開のめどは立たない。それまで1人の医師が年約200件の出産を扱う過酷な勤務を強いていた。再開へは複数の医師配置が不可欠との思いがある。

 「他の病院へ移った患者も帰ってきた。時間はかかるが、市民の信頼を取り戻していくしかない」


ズーム

 銚子市立総合病院 16診療科、393のベッドを持つ千葉県東部の中核病院の一つだったが、医師不足と経営難で2008年9月末に休止した。約160人の入院患者は転院し、医師や看護師ら職員185人が解雇されるなど混乱した。


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(2010年05月03日 更新)

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