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第5部 公立病院の苦悩 (4)医局  入局ゼロ 派遣先は半減

16の医局が入る岡山大医学部の臨床研究棟。医師派遣を求めて訪れる関係者が相次ぐ

 岡山大病院(岡山市北区鹿田町)の一角にある医学部の臨床研究棟には16の「医局」が入っている。

 4月上旬、その一つ、3階の血液・腫瘍(しゅよう)・呼吸器・アレルギー内科教室を岡山県内の病院長が訪れた。谷本光音教授(58)が教授室に招き入れた。

 「医師が足りません。ぜひとも派遣してもらえませんか」

 院長は頭を下げた。

 この日は他に3人の院長が立て続けに来訪。話の内容はすべて同じだった。

 4月は就任あいさつを兼ねた訪問が相次ぐ。多くは地方の中小病院関係者。代表的なのが公立病院だ。医師不足で新たな採用が難しいため、大学からの派遣が頼り。市長を伴って来ることも珍しくない。

 だが、谷本教授はこう答えるしかなかった。

 「こちらも余裕がなくて…。現状で頑張ってみてください」



 医局は専門ごとに細分化され、教授を筆頭にしたピラミッドで構成される。本来の大学病院の診療や研究、医学生の教育に加え、育てた医局員を地域の病院に派遣する役割も担っている。かつて新人医師の多くはここで臨床の基礎を学んだ。

 新人医師は数カ月を医局で過ごすと関連病院に派遣され、2、3年すると次の病院へ移ったり医局に戻る仕組みだった。岡山大は中四国に約250の関連病院があり、医師は医局と病院を行き来しながらキャリアを積んだ。

 それが揺らいだのは2004年。国の制度改革で、新人医師に内科、救急など7科を回る2年間の臨床研修が義務付けられてからだ。



 現行制度では、研修先は医師と受け入れ先のマッチングで決まる。選択の自由度が増し、多くが「大学は堅苦しい」「患者の症例数が少ない」などの理由で大学病院を敬遠するようになった。岡山大では年100人弱の卒業生の8割以上が岡山、倉敷市の総合病院など学外へ流出した。

 「一気に大学から若い医師が消えた」と谷本教授。同大全体では毎年、他大学の卒業生を含め200人近くの新人医師が入局していたが激減。04年度の新人医師は20人、05年度はわずか5人に落ち込んだ。谷本教授が率いる医局も20人からゼロになり、医局員数は40人減って80人になった。派遣先を以前の約30病院から半分まで絞らざるを得なくなった。

 「大学病院の診療体制を維持するためには仕方なかった」。谷本教授にとっても苦渋の選択だった。同大の関連病院では、市立備前病院(外科)や玉野市民病院(内科)、福山市民病院(産婦人科)などから相次いで医師が引き揚げられた。



 医師と医局の関係も変わりつつある。

 「都市で働きたい」「子どもの教育環境を考慮したい」。谷本教授の元にはここ数年、地方の病院に派遣した医師からの異動願が増えてきた。

 「代わりは送れない。だが、認めずに医局を辞められてはもっと困る。われわれが若いころは医局の指示は絶対だったが…」。面談して慰留に努めるが、希望を尊重せざるを得ないケースもある。

 「もう大学が人事にかかわる時代でないのかもしれない」



ズーム

 臨床研修制度 2004年4月から、大学卒業後に免許を取得した医師に2年間の研修を義務付けた。専門に偏らない幅広い診療能力を身に付ける目的で、大学病院や臨床研修病院で学ぶ。研修先が自由に選べるため地方の医師不足が深刻化。国は10年度の見直しで、必修科削減による研修プログラムの弾力化、都道府県ごとの定員上限を設けた。
※登場する人物・団体は掲載時の情報です。

(2010年05月07日 更新)

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