おかやまの地域医療と岡山大学第1回 (上) 診療と教育支える 強固なネットワーク
もりた・きよし 1974年、岡山大医学部卒。同大学院医歯薬学総合研究科教授など経て2005年から現職。08年から岡山大理事。専門は麻酔・蘇生学。60歳。
みこうち・ひろし 1970年、岡山大医学部卒。岡山医療センター統括診療部長、副院長など経て2010年4月から現職。同大臨床教授。専門は循環器内科。64歳。
ちゅうだ・まさき 1971年、岡山大医学部卒。岡山赤十字病院神経内科部長、精神科部長、副院長など経て2010年4月から現職。専門は精神科。63歳。
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出 席 者
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岡山大学病院 森田 潔 病院長(司会)
岡山労災病院 清水 信義 病院長
岡山医療センター 三河内 弘 病院長
岡山済生会総合病院 大原 利憲 病院長
岡山赤十字病院 忠田 正樹 病院長
津山中央病院 藤木 茂篤 病院長
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森田 中四国の医療を支える
三河内 子どもが夢抱く存在に
忠田 病院の機能分担が重要
受け継がれる伝統
森田 岡山大学医学部はこれまで約1万3千人の卒業生を送り出し、医局・教室を合わせると2万、3万の医師たちが中四国の地域医療に貢献してきた。現在、関連病院は中四国だけでなく関西圏も含め254を数える。まず関連病院の院長であり、岡山大学医学部・教室OBの皆さんに140周年の感想をうかがいたい。
三河内 私は山口県山口市の出身で、医師であった祖父は明治中期に岡山大学医学部の前身である第三高等学校医学部を卒業した。当時から、中四国の広い地域から医師を目指す人たちが岡山大学に集まり、卒業後、いかに地域の医療を守り支えてきたかが分かる。
藤木 私は今春、津山中央病院の院長になり、県北164カ所の病院と診療所を回った。津々浦々で岡山大学医学部や教室出身の方々が診療されているのを見て岡山大学の底力を知り、感激した。
大原 同じ釜の飯を食った仲という言葉があるように、“岡大ファミリー”のつながりは財産だ。卒業後もいろいろなことで連携をとり、難しい症例についても電話一本で気軽に相談することができるのは心強かった。若い医師たちにも大学で大事な仲間をつくってほしい。
忠田 東京の会議などに行くと、「中四国といえば岡山大学」という認識が浸透しており、伝統と歴史の重みをあらためて感じることが多い。
清水 津山の洋学、岡山の洋学が基盤となって岡山藩医学館ができ、明治21(1888)年に第三高等中学校(京都)の医学部が岡山に設置されたことが大きい。当時、京都、大阪に医学部はなかった。また各地域に帝大ができたとき、中四国には帝大がなく、その役割を岡山大学がずっと担ってきた。
役割分担
森田 関連病院はそれぞれ強い診療科を持ち、地域の中で役割分担ができている。この関係をしっかり維持していきたいと思うが、医療面で岡山大学に求めるものは何か。
忠田 岡山赤十字病院は、ほとんどの診療科の部長が岡山大学出身であり、専門医、スタッフの派遣などあらゆる面で大学にお世話になっている。医療面でも高度な医療はいつでもお願いできるという安心感は大きい。引き続き強固な連携体制をとっていきたい。
藤木 県北の中核病院である津山中央病院の使命はすべての分野で患者さんに安心を与えることであり、専門医の充実が課題だ。関節、脊椎(せきつい)などの専門医がそろった整形外科は成功例で、5、6年前に年間1千件だった手術件数が1700件に飛躍的に伸びた。一般的な循環器、消化器はある程度、自前で教育できるが、白血病や特殊な神経疾患などの分野は大学のサポートがあるとありがたい。
三河内 国立病院機構岡山医療センターは国の方針に沿った政策医療と地域医療への貢献が2本柱としてある。周産期を含め小児や循環器、整形外科、呼吸器、血液疾患などの患者さんが多いが、特殊な病気に関しては大学の協力が必要だ。実際、岡山大学とは人的な交流や情報交換を続けている。
清水 岡山労災病院は400床規模の病院なので、すべてができるわけではない。“最後の砦(とりで)”である岡山大学には高度な医療、新しい医療を積極的に導入し、地域の病院に広げてほしい。医師の確保についても大学に依存するところが大きい。
森田 関連病院の中で、100〜200床規模の公的病院が大変経営に苦しんでいる。皆さんと一緒に考えなければどうにもならない状況だが。
清水 お年寄りは今後も確実に増え、医療は増大していくので、医療機関は残さなければならない。特に過疎地域で病院がなくなると、一層過疎化が進んでしまう。当院では近隣の公的病院との協力を進展させ支援したい。
大原 当院は地域との結びつきが強く、岡山県へき地医療支援機構の運営主体病院でもある。へき地での診療や検診を行い、瀬戸内海の離島住民の健康を支える巡回診療船「済生丸」は来年運航50年目を迎える。県北の病院へは医師を派遣しているが、それぞれの病院の役割が異なるので、よく話をしていかないと、お互いに疲弊してしまっているようだ。
三河内 将来的に、その地域に必要な機能は残し、それ以外はどこかの拠点病院に医療資源を集中し、効率的に配分されるようになっていくのではないか。
藤木 病床に関する調査結果を紹介したい。当院で県北の入院施設55カ所(当院を除く)を調査したところ(現在54カ所が回答)、許可一般病床1517床のうち実際に稼働しているのは1333床。医療療養は990床のうち896床だった。当院から患者さんを送りたくても受け入れ先が十分機能していない。その結果、当院での入院日数が伸び、救急対応を断らざるを得ない時がある。一方で、患者さんやご家族にも、医療のすみわけを理解していただく時代になったといえる。
忠田 医療療養、介護療養の病床が足りず、急性期の病院から患者さんが回っていけないのはほとんどの急性期病院の悩みだろう。急性期、亜急性期、回復期、慢性期といった病院の役割分担が明確になれば問題は解決できる。
(下に続く)
(2010年10月18日 更新)