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東日本大震災 岡山県災害派遣医療チーム帰岡 「救えた命あった…」「1日も早く復興を」

医療活動を終え、岡山済生会総合病院に帰着したDMATのメンバー

 「救えた命がもっとあった」「心のケアを」―。東日本大震災の発生から4日目を迎えた14日、被災地で治療などに当たってきた県の災害派遣医療チームDMAT(ディーマット)や県医師会のメンバーらが帰岡し、津波などに遭い次々と搬送される人々の様子を生々しく語った。一方、県内では水産加工品の入荷が一部ストップするなど、日常生活への影響が懸念され始めた。

 「はだしや手足がすり傷だらけの人、全身ずぶ濡(ぬ)れの人など100人以上が運び込まれてきた。手の施しようがなく、県外の病院へ搬送されていった人々の姿が目に焼き付いている」

 DMATの岡山済生会病院チームリーダーの救急課医長、野〓哲さん(41)ら医師2人は、岩手県・花巻空港内の臨時医療施設(SCU)での様子をこう語った。

 DMATは、生存可能性が著しく低下する「発生から72時間」を目安に5チーム計27人が派遣された。SCUは格納庫にテントが並べられ、簡易ベッドが16。大津波が来た岩手県大船渡、釜石市の被災者が次々と搬送され、野〓さんらは中等度の患者3人の治療を担当した。

 しかし、周辺道路は寸断、活動は空港内に限られた。外科医稲葉基高さん(31)は「少しでも被災地に踏み出せたら、救える命がもっとあった」ともどかしさを口にした。「被災者の代わりに家族に連絡を取るなど、心のケアも重要だと痛感した」とも語った。

 県のDMATチームが被災地に出動したのは今回が初。2人は「限られた時間で、可能な限りの支援はできたと思う。今後は1日でも早く復興するよう、後方支援に努めたい」と話した。

※〓は崎の大が立
※登場する人物・団体は掲載時の情報です。

(2011年03月15日 更新)

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