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肝がん(天和会松田病院) 患者体験 再発乗り越え生活充実

肝臓がんとつき合いながら元気にはさみを操る高田明夫さん

 早期発見と適切な治療により、肝がんは長くつき合っていくことが可能な病になった。だが、さまざまな治療法の中からどれでも好きなものを選べばよいわけではない。シリーズがん・肝がんの後編では、経験豊かな専門医に治療法を選ぶ際の心構えを尋ね、治療費についても専門職にアドバイスをお願いした。再発治療にも前向きに取り組み、充実した生活を送っている患者の体験も紹介する。


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 今朝も小気味よいはさみの剪せん断音が響く。「カットスタジオ・タカタ」(倉敷市玉島阿賀崎)を営む高田明夫さん(71)はこの道50年を超えるベテラン。昼過ぎまで店でなじみ客の髪をカットし、午後は畑へ行って野菜作りに精を出す。

 肝がんとのつき合いはもう10年になる。今年も1月下旬、天和会松田病院(同市鶴形)に1週間入院し、2センチの大きさになったがんのカテーテル治療を受けたが、退院翌日から仕事場に立った。毎日1万4千歩くらい歩き、好きなゴルフをする日は2万歩を超える。

 2001年、それまで病気と縁のなかった高田さんは、初めて市の検診に引っかかった。B型ウイルスを持っていたのも知らないまま肝炎が進行し、がんを発症していたのだ。

 地元の内科医院に頼んでエタノール注入を受けたが、翌年再発し、松田病院の松田忠和院長を紹介してもらった。肝機能が著しく低下しており、切除手術をあきらめ、ラジオ波焼灼(しょうしゃく)術と胆のう摘出術を選択せざるを得なかった。

 時間をかけて説明してもらい、高田さんは「納得して先生に一切を任せたので、以後、恐怖心や不信感は一切持たなかった」と言うが、悲観的な予後を聞かされた妻浅子さん(66)は「看護師長さんが後ろにいてくれなかったら倒れそうでした」と振り返る。

 がんの芽は残っていたが、5年前に転機が訪れた。継続していたゼフィックス(核酸アナログ製剤)投与が奏功してウイルスが抑え込まれ、肝機能が大幅に改善した。慎重に開腹手術を検討する松田院長に、高田さんは自ら「おなかを開けてください」と願い出た。3分の1の肝臓を切除し、がんを取り切ることができた。

 おなかに埋めたポートから抗がん剤を流し込む治療も受け、ほとんど副作用もなく乗り切った。以来、月1回の検診と3カ月に1回の画像診断に通い、ゼフィックスの服薬は欠かさない。もともと酒は飲まず、院長との約束でたばこもやめた。

 それでも新たながんが顔を出してくるが、「もぐらたたきのように出てくるのは分かっている。どこにあるかちゃんとチェックしてもらっているので安心しています」と自然体。やりたいことができる生活に感謝し、「前向きなのが一番大事」と話す。
※登場する人物・団体は掲載時の情報です。

(2011年07月04日 更新)

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