文字 

移植医療の今 改正法施行1年(1)奇跡 劇的回復 長時間外出も

近所を散歩する小山さん。肺移植を受けて劇的に回復、長時間の外出ができるようになった

 「移植日は、私にとって人生をやり直す第二の誕生日。ドナー(臓器提供者)の方から贈られた命を無駄にしないよう、精いっぱい生きたい」

 九州地方のある都市に住む小山里奈さん(38)=仮名=は顔を輝かせた。

 幼いころから気管支が弱く、入退院を繰り返した。大学卒業後に気管支拡張症が悪化。呼吸機能が徐々に低下していく中、岡山大病院(岡山市北区)で「移植しか治療方法がない」と診断され、国内で唯一の臓器斡旋あっせん機関・日本臓器移植ネットワーク(東京)へ2008年に登録した。

 改正臓器移植法の全面施行(10年7月17日)から3カ月半。11月上旬の早朝、自宅の電話が鳴った。

 「もしかして」―。里奈さんの胸は高鳴った。「あなたが第1候補です。移植を受けられますか」。大藤剛宏・岡山大病院肺移植チーフの声に、「お願いします」と即答していた。同病院で手術後、順調に回復し、11年3月に退院。今では、長時間外出できるようになった。

■ □ ■ 

 移植医がそろって口にする言葉がある。「移植を受けると劇的に回復する。それはまさに『奇跡』だ」―。里奈さんの姿が、それを証明している。

 酸素吸入をしていた手術前。近所のコンビニに買い物に行くだけで息が切れ、頻繁に発熱した。それが、拒絶反応を防ぐ免疫抑制剤は手放せないものの、街を好きなだけ歩けるようになった。しっかりとした足取りに、彼女が移植患者と気づく人はいない。

 「こんなに元気になるとは。今でも信じられません。手術前は、夢のまた夢だった『走る』こともできそう」。可能性が広がれば将来のことも考える。仕事や出産もしてみたい。

 里奈さんは、まさか自分が移植を受けることになるとは思っていなかったという。

 20代後半、当時暮らしていた東京で主治医から「将来、移植が必要になるかもしれません」と告げられても「遠い世界の話」としか受け止められなかった。一方で、失敗すれば死につながる大手術に不安は募った。だが、症状が悪化するにつれ、心境は変化していく。移植ネット登録時には「呼吸がつらくてつらくて。気分も落ち込みがちに。何とか助かりたいと思うようになった」。

■ □ ■ 

 登録から約2年がたった10年7月。世界一厳しいとされた脳死臓器提供条件から「移植規制法」とも揶揄やゆされた臓器移植法が改正され、全面的に施行された。

 脳死ドナー増を目指し、臓器提供意思表示カード(ドナーカード)による意思表示がなくても家族の承諾で提供が認められた。

 「私にも順番が回ってくるかもしれない」。その日から移植関連のニュースをインターネットで探すのが里奈さんの日課になった。

 劇的な回復を果たした里奈さんは今春、移植前までどうしてもできなかったドナーカードへの記入、署名をした。

 「私のように移植で救われる命があるのなら、ひとりでも多くの人に、生きるチャンスがめぐってくることを祈りたい」



 改正臓器移植法の全面施行から17日で1年。臓器提供条件が大幅に緩和され、脳死ドナーが急増するなど、大きく変化した移植医療の現場を追った。
※登場する人物・団体は掲載時の情報です。

(2011年07月16日 更新)

カテゴリー

ページトップへ

ページトップへ