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精神科の救急医療重要 震災被災地で1年活動 岡山県「心のケアチーム」

被災地の生活支援員とミーティングする五島氏(右奥)=昨年11月、宮城県南三陸町(五島医師提供)

 東日本大震災で、精神的ショックやストレスから心身の健康を損ないがちな被災者の診察・相談に当たった岡山県の「心のケアチーム」。全国に先駆けて現地入りし、津波被害が甚大だった宮城県南三陸町を主に担当した。活動からは「精神科の救急医療」や「被災地が自立するための支援」の重要性が浮き彫りになった。3月までの1年間の取り組みを振り返る。

 「心のケアチーム」は各都道府県が派遣し、岡山県は震災発生4日後の昨年3月15日に宮城県から要請を受けた。地方独立行政法人・県精神科医療センター(岡山市北区鹿田本町)の来住(きし)由樹・精神科医(47)や看護師ら8人がチームを編成。ワゴン車で16日に岡山をたち、19日、南三陸町入りした。

壊滅的な打撃 

 南三陸町の被害状況は死者396人、行方不明者612人。町民の半数に当たる約8700人が避難生活を強いられており、数字以上に町は壊滅的な打撃を受けていた。そんな中、チームが感じたのは精神科の救急医療が急務ということだ。

 もともと町内に精神科病院が無く、精神疾患患者は町外の病院に通っていたが津波で交通網は寸断。薬がなくなったり、避難所での集団生活のストレスで症状が悪化するケースが目立った。家族らを失ったショックによる抑うつ状態や、断続的な余震でパニックに陥る人、不眠など睡眠障害を訴える人も続出していた。

 チームは町保健師と協力し、避難所や老人ホーム、民家など計約70カ所の巡回診療を開始。現地の中学校に寝泊まりし、岡山県内の他病院の医師もローテーションに入ってもらい、切れ目ない支援を展開した。

 その結果、巡回開始1週間目で120人に上った患者数は、交通網や近隣病院が復旧するに従って落ち着き、7週目には5人にまで激減した。

 来住氏によると、震災直後に続々と現地入りした災害派遣医療チーム(DMAT)は負傷者の治療を進める一方、大半が向精神薬を常備しておらず、精神疾患患者らの診療が後手に回ったケースもあった。来住氏は「精神疾患に特化したチームの整備を急ぐべき」と震災直後の“急性期”の課題を指摘する。

格差なお拡大 

 避難生活の長期化などに伴い、現地ニーズは救急医療から精神的ケアにシフトした。岡山県チームは3月まで、継続的に支援。その柱は「現地の問題を、現地で解決する」という自立への支援だ。

 県精神科医療センターの五島(ごしま)淳・精神科医(43)は、毎月1週間ずつ現地に入った。仮設住宅のコミュニティーづくりのけん引役として町が現地採用した「生活支援員」約140人の相談役を担当し、仕事上の悩みなどに助言。自らも被災者ながら過剰労働を余儀なくされていた町職員のメンタルヘルスケアにも当たった。

 五島氏によると、職の有無や財産の多寡などによる被災者間の格差は震災1年を経てもなお拡大しており、ケアが必要な人が増える可能性は高いという。

 このため、現地のケアシステム構築に役立ててもらおうと、患者らの情報を近隣自治体や保健所、病院などに随時提供。五島氏は「自立への道筋は付けたつもり。地道に取り組んでほしい」とエールを送る。
※登場する人物・団体は掲載時の情報です。

(2012年04月05日 更新)

タグ: 精神疾患

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