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(6)ムシ歯のでき方 朝日高等歯科衛生専門学校校長(旧ベル歯科衛生専門学校) 渡邊達夫

 19世紀の中ごろ、アメリカに歯科医学校が初めて創設され、歯に関する研究も急速に進んだ。水野忠邦が老中になったころである。まず、ムシ歯に関する研究であった。ミラーという化学者は、ムシ歯の穴にリトマス試験紙を入れて、青いリトマス試験紙が赤く変わることを見つけた。ムシ歯の穴は酸性なのである。大理石のカルシウムも酸に触れると溶けて流れ出す。大気汚染で酸性雨が降ったため、ヨーロッパの大理石の彫像が溶け、顔の凹凸が無くなってしまったように、歯の表面が酸にさらされるとカルシウムが溶け出してムシ歯になる、とミラーは考えた。なぜ酸ができるのか? 炭水化物を食べた後にリトマス試験紙を入れて見たら赤くなった。脂肪を食べた後とタンパク質を食べた後では赤変しなかった。ミラーは、炭水化物を食べると酸ができて、その酸でムシ歯ができる、という仮説を立てた。それは、日本では舞踏会が盛んに行われ、鹿鳴館が完成するころ(1882年)のことである。

 ミラーの弟子たちは、この仮説を証明しようと頑張った。ある人は唾液に炭水化物を入れて酸ができるかを実験してみたが、酸はできなかった。ステファンは1944年、10%のブドウ糖で2分間うがいをした後の歯垢(しこう)(プラーク)の酸度(pH)を測ることに成功した。3〜4日目以降の歯垢にブドウ糖を触れさせると、歯のカルシウムを溶かすことができるほどの酸度にまで下がった。口の中に入った糖分を歯垢の細菌が利用して酸を作り、その酸が歯を溶かす、という学説を検証した。アメリカ軍のB29による本土爆撃が激化した年(1944年)である。私たちの両親が爆撃で逃げ迷っていたころ、アメリカではムシ歯のでき方を研究していたのである。

 スウェーデンのビペホルム精神病院で、入院患者を使ってムシ歯の人体実験が行われたのは1946年からである。ナチス・ドイツの人体実験に対する反省としてニュルンベルク綱領が採択され、山口良忠判事が配給だけの食糧生活を貫き通して栄養失調で死んでしまう1年前のことだった。入院患者をいくつかのグループに分け、砂糖を食事と一緒に与えたり、間食として与えたり、また、粘り気のあるお菓子を与えたりして、ムシ歯がどれだけできるかを調べた。その結果、食事の時にとる砂糖はムシ歯とはそれほど関係しないが、食間にとる砂糖分がムシ歯を急激に増やすこと、砂糖の量が多いほどムシ歯になりやすいこと、粘り気のあるもの(トフィー=噛(か)むと歯にくっつくキャラメル)ほどムシ歯になりやすいことが分かった=グラフ参照。この人体実験のスポンサーが製糖会社だったことや人体実験に対する批判が出始めたころだったので、発表が数年遅れたという事実もある。いずれにせよ、これはスウェーデン政府と歯科医師会が音頭をとって実施したものであるが、歯科界の素晴らしい、また、つらい歴史である。医の倫理という観点から反省すべき研究で、インフォームド・コンセント(説明の上での同意)を取り上げたヘルシンキ宣言が出る前のことだった。

 動物実験の結果をみると、必ずヒトではどうか、という疑問がわく。ネズミの結果をヒトに当てはめるのには無理がある。人体実験をしなければ間違った結論を導いてしまう可能性や、薬害などが起こる心配も出てくる。しかし、臨床試験は倫理上の問題があって実行するのは非常に難しい。それでも必ず通らなければならないステップである、より多くの人々の幸せのために。今、臨床試験は厚生労働省やWHOの基準に基づいて、ボランティアの方々の協力の下で行われているが、ボランティアがいないと安全で効果的な新薬や新しい治療法は生まれない。
※登場する人物・団体は掲載時の情報です。

(2012年05月21日 更新)

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