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(7)ムシ歯予防とフッ素 朝日高等歯科衛生専門学校校長(旧ベル歯科衛生専門学校) 渡邊達夫

 ムシ歯予防に最も効果的なのがフッ素の利用だ。私たちに手っ取り早いのは、フッ素入りハミガキ剤を使うことである。ハミガキ剤を買うとき、フッ化ナトリウム(NaF)またはモノフルオロリン酸ナトリウム(MFP)が含まれているものを選んでもらえば、いつも通りの生活でムシ歯予防ができる。歯みがきだけではムシ歯予防はできないが、フッ素入りハミガキ剤を使えば効果がある。日本で、あまり努力せずにできるムシ歯予防法である。国民があまり努力しなくても健康を確保できる手法は、公衆衛生学的には好まれる。フッ素の応用は、その他にフッ素洗口やフッ素塗布がある。

 粉ミルクにフッ素を混ぜて飲ませる方法などは、上水道が完備していない東南アジアや中国、アフリカで実施されている。上水道が完備している国々では水道水にフッ素を入れて、ムシ歯予防をしている。アメリカ、カナダをはじめ、ロシア、オーストラリア、韓国、ヨーロッパ諸国である。スウェーデンでは、一時期水道水にフッ素を入れてムシ歯予防に成功していたが、グリーンピースの活動によって中止された。それにもかかわらずムシ歯の減少は続いた。その理由はフッ素入りハミガキ剤の普及によるものと考えられている。

 フッ素とムシ歯予防がつながったのは、今から70年近く前のことである。それ以前から、ある地区に住んでいる人の歯が茶色だったり、白く斑点が出来ていたという報告があった。これを斑状歯といって、風土病とされていた。アメリカのコロラド・スプリングスの歯科医師が、この町で生まれ育った子どもの87・5%はエナメル質に欠陥がある、と発表したのが1909年、伊藤博文が旧満州のハルビンで朝鮮の青年に暗殺された年である。斑状歯の原因としてカルシウム不足であるとか、飲み水に何かが入っている、飲み水に何かが欠けているという説が出た。15〜16年後、飲み水が原因らしいという説が定着し、アイダホ州やアーカンソー州で公営水道の水源を変えて、それ以降は斑状歯が出なくなった。しかし、水の成分を分析しても異常は見つからなかった。その分析項目にフッ素は入っていなかったのである。

 同じころ、フッ素をネズミに飲ませると前歯が白く、まだらになることを学会雑誌に発表した研究者がいた。この論文がヒトの斑状歯と関連付けられるまでに7〜8年かかった。このようにフッ素が多く入っている水を飲むと斑状歯が起こると分かったが、その地区の人々のムシ歯が少ないことも見つかった。飲料水中のフッ素濃度と斑状歯の発生率、ムシ歯の発生率はグラフのようになる。1945年、第二次世界大戦が終わった年の1月、アメリカのグランドラピッツの住民は、自分たちの水道水に1ppm(100万分の1、1リットルの水に1ミリグラム)のフッ素を添加することを始めた。そして子供のムシ歯を半減させたのである。ヒトの害になるフッ素でも上手に使えば役に立つという考えを実践した勇気には敬意を表する。

 科学が十分発達していないときは、毒物が少しでもあったらだめだという毒物ゼロ志向が社会の大勢を占める。だから、何でもかんでも反対である。科学が進歩して定量できるようになると、Aという量以上だったらヒトの害になり、Bという量だったら健康に役立つということが分かってきて、毒物コントロール志向、リスクコントロール志向が大勢を占めるようになる。フッ素の場合も1ppmより濃い水を飲んでいると斑状歯が出来、さらに濃い場合は骨硬化症にもなる。しかし、フッ素が極めて少ない食餌で育てられたネズミは、生殖機能が衰えたり、成長が止まったりするともいわれている。ヒ素ミルク事件や和歌山の毒物カレー事件で有名なヒ素も、実は必須栄養素なのである。量と形によって、毒にもなり、薬にもなる例である。
※登場する人物・団体は掲載時の情報です。

(2012年06月04日 更新)

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