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いのちを支える 倉敷成人病センター 前理事長・総院長 新井達潤

 一般には麻酔は1846年10月16日に米国の歯科医モートンがエーテルを用いて始めたとされる。こんなに明確なのはこの日に公開実験を行い成功したからである。もちろん歴史的には華岡青洲が先であるし、他の先達の試行錯誤があった。

 麻酔の出現まで手術は悲惨を極めた。ロンドン病院では手術の前に鐘を鳴らした。患者を押さえる人々を呼び集め、悲鳴は手術によるものであると周囲に知らせるためである。

 麻酔と消毒法の発明・発見は手術の適応範囲を飛躍的に拡大させ、その50年の間に人の寿命が35歳から50歳に延長した。しかし当初麻酔は決して安全なものではなく、犠牲者も少なくはなかった。麻酔科医にとって手術患者の安全確保は天命である。安全な麻酔薬や麻酔法の開発、呼吸や循環系への作用薬、サポート技術、モニターの開発に努力が重ねられてきた。私の知るこの40年間に麻酔の安全性は飛躍的に上昇し、現在わが国においては純粋に麻酔に起因する重篤事故はほとんどない。

 安全性の確保と同時に進められたのは手術後の苦痛の軽減である。今、心ある麻酔科医の常駐する病院では手術後の苦痛は最小に抑えられている。手術をしたのだから痛い苦しいのは当然である、は医師の怠慢である。

 先日陛下が冠動脈バイパス手術を受けられた。陛下は手術後麻酔からすぐに覚醒し、ご家族に手をさすられると「気持ちいい」と答えられたという。開胸手術という大手術にもかかわらず手術後すぐに覚醒し、気持ちいいという言葉が出る。そこには穏やかさがある。手術が安全に終了し、患者に苦痛がないからこそ出るお言葉である。報道には一度も出てこなかったが、大役を全うされた麻酔科の方々の労を、私は心の底からねぎらった。

(2012年6月16日付山陽新聞夕刊「一日一題」)
※登場する人物・団体は掲載時の情報です。

(2012年06月18日 更新)

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