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英語を話す 倉敷成人病センター 前理事長・総院長 新井達潤

 外国に行って最も困るのは言葉である。私も何年か米国に住んだことがあるので言葉を話せないつらさは身に染みている。よく1年居たら大体分かるようになると言うが、1年居たら話の見当がつくようになるというのが本当だろう。少し内容が濃くなると1年では無理である。講師のジョークにどっと沸くクラス。皆が笑うからまねして笑う惨めさ。

 S銀行のニューヨーク支店長がゴルフ中に倒れ、われわれの病院で緊急開頭手術が行われた。当時麻酔科レジデント研修中であった私が麻酔を担当した。手術は4時間ほどで終了したが、回復室で彼が全く英語が分からないことに看護師が気付いた。私が日本語で話すと理解できるから意識状態が悪いわけではない。翌日病室に帰ったがここからも私にお呼びがかかった。プライベート看護師が付いていたが全く意思疎通ができないのだ。私はその後時間を見つけては話しに行った。

 S銀行といえばどなたもご存じの一流都市銀行である。そのニューヨーク支店長が英語が分からない。これは意外であった。が、今理解もできる。当時彼は50歳前後で大正の生まれであろう。この時期の日本人がどのような英語教育を受けていたか。Sometimesをソメチメスと発音する環境に居たのかもしれない。日本式英語の読み書きに通じていても本当の音を聴く機会が無かったのかもしれない。英語の音が分からぬまま英語の世界に飛び込んで、英語に堪能な部下の上に立ち、私以上に惨めな思いをしたに違いない。彼は後遺症なく完全回復しウォルドルフ・アストリアホテルで大々的な祝賀会が行われた。

 数年後日本で彼が関連会社へ社長として出向するという記事を見た。頭取の有力候補であったが手術をしたことが影響したと聞いた。日本ではいささかのキズも許されない。

(2012年7月21日付山陽新聞夕刊「一日一題」)
※登場する人物・団体は掲載時の情報です。

(2012年07月24日 更新)

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