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倉敷の街 倉敷成人病センター 前理事長・総院長 新井達潤

 倉敷に来てから5年がたった。私は少年期を松山で過ごし、その後再び松山に戻り大学の教職に就いて長く過ごした。松山は市の中心に城があり、市街地のどこからでも見上げることができた。城を囲む市街は碁盤の目に整頓され見通せた。松山で育ったものにとって倉敷は街の景観が随分と違う。

 倉敷は周辺の市町村をのみ込んで人口は40万余にもなるというが、田舎の雰囲気がそこかしこに残る。先の大戦で空襲を受けなかったこともあり、時代の流れに沿って自然発生的に成長してきた町々はそのまま残り、それらをつなぐ通りは迷路のように細く曲がりくねる。松山の整然とした町並みに慣れた私には、なんとも雑然とした街に見えた。

 人は年を取るに従って新しい環境に溶け込みにくくなる。私は学生時代岡山に住んでいたので、何度か倉敷に来たこともあり町のおおよその輪郭も分かっていた。しかし時を経て 終 ( つい ) の 棲 ( すみ ) 家 ( か ) として訪れた倉敷は、私にはよそよそしく、なじめなかった。重い経営の課題を抱え、何重にも重なった古い殻を剥ぎ取りながら新たな方向を模索していたとき、倉敷の街は暗くモノトーンに見えた。街を楽しむ余裕がなかった。

 あれから5年。街の路地、用水の流れ、小さな店々が分かるようになってきた。少しずつ知己が増え、仲間ができた。なによりも事業が着実に前進した。不思議なもので倉敷の古い町並みがかえって柔らかくゆったりと感じられるようになってきた。いま自分が少しずつ倉敷の町に溶け込んでいくのを実感している。

(2012年6月2日付山陽新聞夕刊「一日一題」)
※登場する人物・団体は掲載時の情報です。

(2012年06月02日 更新)

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