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倉敷の清流 倉敷成人病センター 前理事長・総院長 新井達潤

 倉敷人の街の自慢は、蔵造りの建物が柳の川面に映える美観地区、その中にある大原美術館、それと天領であったという倉敷の歴史であろうか。

 しかし私が倉敷で心ひかれるのは市街を流れる幾筋もの清流、用水である。水は高梁川から引かれ、酒津の 樋門 ( ひもん ) から倉敷一帯、そして対岸の玉島地区へも分流していく。私の住まいのすぐそばにもその一本が流れており、古い家々がひしめく街並みを斜めに切り病院のすぐそばを流れていく。私は毎日この流れに沿って通勤している。水の流れにはいつも見入ってしまう魅力がある。

 倉敷は古くより高梁川と深い関わりを持って発展してきた。高梁川が倉敷の地を広げ、田畑を潤し、水運を盛んにした。一方で高梁川は度々大氾濫を起こし、明治に入っても周辺地域に何度も壊滅的な被害をもたらした。

 このため明治40年大規模な治水工事に着手した。当時高梁川は清音村古池辺りで東西の2流に分かれていたが東流を酒津で遮り、西流(現在の高梁川)に合流させ一本化し、同時に酒津から取水し倉敷一帯を 灌漑 ( かんがい ) するというのである。周辺農民の水利権も複雑に絡み、工事完成までに十数年を要した。今、東流跡は市街地となり、中を南部用水、水島臨海鉄道が走る。

 私は倉敷市街を流れる用水を見る度に、この流れを街の景観づくりに生かせないかと思う。これほどの街で市中を幾筋もの清流が流れるところは少ない。しかし残念ながら美観地区を抜ける倉敷川を除いては、景観づくりに生かされているとは言い難い。清流の魅力を生かすため高速道路を撤去した隣国の話も聞く。毎年倉敷を訪れる数百万人の観光客のためにも、この地に生活をする市民のためにも、市中の流れにもう少し趣を添えてくれるとうれしいのだが。

(2012年6月9日付山陽新聞夕刊「一日一題」)
※登場する人物・団体は掲載時の情報です。

(2012年06月09日 更新)

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