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「自分の死は自分で創る」 柳田邦男さん、岡山で講演

やなぎだ・くにお 1936年、栃木県生まれ。NHK記者からフリーに転身。1972年、「マッハの恐怖」で大宅壮一ノンフィクション賞、95年、自死した次男の生の証しをたどった「犠牲(サクリファイス)わが息子・脳死の11日」で菊池寛賞を受賞するなど、災害や事故、科学技術、医療分野を中心に執筆する。日航ジャンボ機墜落事故、JR福知山線脱線事故、東京電力福島第1原発事故などの検証にも携わった。近年は絵本の翻訳にも取り組む。

 ノンフィクション作家の柳田邦男氏=東京都=が19日、岡山県医療ソーシャルワーカー協会の設立20周年を記念し、岡山市北区石関町の県総合福祉会館で「病むことと生きること」のテーマで講演。がん告知が一般化し、生と死への考え方が変容した今日、死と冷静に向き合い自分らしい人生を全うするための心構えや、残された人たちに受け継がれる精神的ないのちについて語った。

旅立ちへの準備 

 人生の最終章をどう生きるべきか。がんや難病を最期まで生き抜いた人たちから、多くのことを学んだ。

 膵臓(すいぞう)がんで亡くなった額装職人の男性は、死の波打ち際まで人は生きるという死生観を貫き、ホスピスで最期まで仕事を続けた。

 宮城県の在宅ホスピス医は、がんを患いながらも東日本大震災の被災者の診療とケアに奔走し、亡くなった。彼は家族も家も失った被災者の心の再生には宗教者の協力が必要だと力説し、新しいケアのあり方を開いた。

 筋萎縮性側索硬化症(ALS)だった男性は、歯のわずかな動きでパソコンで字を拾い、歌を詠むことで自分を支えた。

 こうした人々が示してくれたのは、言葉の力の大きさや死を目前にした時の仕事や生きがいとなるもの、自分を表現することの大切さだ。

 自分の苦しみや思いを詩歌や闘病記に書くことは、自身を客観的に見ることにつながり、生きる力になる。死に直面した時、打ち込める仕事や自己表現を続ける人は最期の時まで心の成長が続く。

 治療やケアの方法を自分で調べて学ぶ姿勢も大事。いい旅立ちができるかどうかは、その人の人生観や死生観が左右する。

心の成熟 

 人は皆、山あり谷ありの大河ドラマのような物語を生きているが、苦しみや悲しみこそ、心を成熟させてくれる。思い返したくない嫌な思い出も年月がたって振り返ると、人生の中での意味が見えてきて、その体験があったからこそ今があることに気付かされる。

 ただ、人生の最終章を迎えるときは、その経過を振り返るのではなく、旅立ちまでどう生きるかを自分で考えなければいけない。

 自分でより良い死を迎える条件を整えないと納得できる死を迎えられないという意味で、私は、「自分の死を自分で創る時代」だということを長年提唱している。

生きなおす力 

 人は、病気、死別、災害などで衝撃を受けると、価値観や人生観を変えないと生きるのが困難になる。生きなおす力を引き出すものは、言葉との出合い、表現活動、同じ体験者同士で支え合う会、専門家によるケアなど、さまざまだ。

 死期が近づいて生きなおそうとする時、多くの人が抱く問いが三つある。(1)一番やりたいことは何か(2)誰に何を引き継いでほしいか(3)自分は死んだらどうなるのか、ということだ。

 最初の二つは医療者も関わることで、身体的・生理的なケアだけでなく、患者の精神性の側面をみて支える必要がある。

 三つ目について、私がたどり着いた答えはこうだ。人の精神性の命(魂)は、その人の生き方や言葉のかたちで、残された人の心の中で生き続け、その人の人生を膨らませる。私はそれを「死後生」と呼ぶ。自分の死後生を豊かにするには、今をいかに生きるかが大事だ。

 現在、医療と福祉のサービスを一体的に提供する地域包括ケアの構築が急がれている。これは多職種の人たちが対等な関係でチームをつくり全人的ケアを提供するもので、従来の医療に偏った対応よりも、患者が豊かな人生を全うできる支えになるだろう。
※登場する人物・団体は掲載時の情報です。

(2014年07月24日 更新)

タグ: がん

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