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つなぐ県北医療 津山中央病院開院60年(中)移転 救命救急センター開設

心肺停止患者の蘇生に当たる医療スタッフ=津山中央病院救命救急センター

 緊張が走る。「(心拍が)また止まった!」

 11月中旬の夕方、津山中央病院(津山市川崎)の救命救急センター。心肺停止状態で運び込まれた高齢男性を医師や看護師らスタッフ十数人が取り囲み、懸命に蘇生を試みる。

 1999年に県北で初めて開設されたセンターは心筋梗塞や脳卒中、四肢切断などの重篤患者に24時間365日対応。まさに地域医療の「最後の砦(とりで)」だ。

悲願

 救命救急センターの整備は、国が示したある計画をきっかけに浮上した。

 86年のことだ。国は人件費が運営を圧迫している全国の国立病院・療養所を自治体などに経営移譲すると発表。川崎にあった国立療養所津山病院も対象に含まれた。

 作州地域の自治体や医師会は当初、国立での存続運動を展開したが93年に方針を転換。津山市と中央病院を経営する財団法人・津山慈風会が受け皿となり、跡地に新病院と救命救急センターを整備する計画を打ち出し、慈風会に要望した。

 「重篤患者は県南に1時間かけて運ぶしかなかった。センター設置は県北の悲願だった」。当時、津山市地域医療対策室の職員で現副市長の大下順正(63)は振り返る。

 慈風会側にとっても魅力的な話だった。地域の中核病院とはいえ、二階町にある施設は老朽化し、敷地も手狭。将来を見据えれば、移転を検討する時期を迎えていたからだ。

 採算性など条件が整わず一度は辞退する 紆余(うよ)曲折はあったが、最終的には法改正で慈風会単独の経営が可能になり、有利な公的補助も利用できるようになったことから移譲を受け入れた。

 97年12月、療養所の敷地(約5・3ヘクタール)と外来診療棟などを引き継ぎ、中央病院東分院として診療をスタート。その2年後、救命救急センターを併設した「新津山中央病院」が完成する。

 地上6階、地下1階延べ約2万2600平方メートルで総事業費約120億円。529床、20診療科からなる県北最大の病院の開院に伴い、二階町の旧病院は「津山中央記念病院」に名称変更し、外来のみの診療を受け持つことになった。

発展

 あれから15年。加茂川のほとりにある小高い丘には病院の関連施設が林立する。

 敷地面積は約8ヘクタールに広がり、津山中央看護専門学校の移転新築、健康管理センターや外来棟の新増築…。今年4月には天然温泉付き総合フィットネス施設がオープンした。がんの早期発見につながる画像診断装置(PET=ペット)など最新機器の導入も進む。

 移転時に60人弱だった医師は約120人と倍増し、診療科は26に。「県南の病院に引けを取らない」(中央病院)と自負する手術数は内視鏡など年間5千件に迫る。全職員数は千人を超え、今や県北の“一大企業”だ。

 二階町時代には考えられなかった事業規模の拡大。津山・英田医療圏の保健医療を管轄する美作保健所長の二宮忠矢(62)は「国立病院・療養所を引き継いだ事例の中で最も成功している一つ。移転なくして今の発展はなかった」と指摘する。

 (敬称略)
※登場する人物・団体は掲載時の情報です。

(2014年12月05日 更新)

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