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性同一性障害「身近に理解者ほしい」  岡山大大学院の実態調査 差別、偏見悩む患者

「障害をさらりと話せる時代に」。性同一性障害への社会の理解が進むことを願う田中さん

 体の性に違和感を感じながらも、どこにも相談できない―。性同一性障害に関する岡山大大学院の調査は、患者の多くが成人までに自殺未遂や不登校などを経験しているという深刻な実態を明らかにした。学校や家庭、社会の理解がいまだに進まぬ中、患者らは「一人でも周囲に理解者がほしい」と訴えている。

 「最初に自分の性に違和感を持ったのは小学校の三年生かな。姉のスカートをはいた時、心にぴったり合ったんです」

 岡山市内の喫茶店。コーヒーカップを静かに置き、田中正子さん(仮名)=岡山市=は話し始めた。四十代。肩まで伸びた髪と白いスカート。田中さんは「体が男性で心は女性」の性同一性障害。現在、岡山大病院で女性的な体つきにするホルモン療法を受けている。

 幼い時から男性であることに疑問を持っていた。思春期に声変わりして肩幅ががっしりすると、自分の体にはっきり嫌悪感を持つようになった。「トイレも、誰も来ない時を見計らって女子のようにしゃがんで用を足していた」と振り返る。

 中学校で髪を伸ばし、女性的なそぶりも見せるようになると、同級生から「オカマ」とからかわれた。

 「まさか『障害』とは思わなかった。『私の頭がおかしいんだ』と自分を責め続けた」。二十代前半には手首を切り、自殺を図ったこともある。

 その後、男性として生きる決心をし、結婚。だが、自分の気持ちを抑えきれず、十数年たって妻に告白、離婚した。名前も家庭裁判所に申し立てて女性らしく変え、男性用の服は全部捨てた。

 「中学や高校時代のアルバムは全部焼いた。男子の制服を着た自分なんて思い出したくもない」

 女性として生きている今は、自分の存在を肯定できないという苦しみからは解放された。だが、社会的にはまだまだ認知されたとは言い難い。

 数年前まで民間会社の中間管理職だった田中さんは、上司に障害を打ち明けたとたん、急に転勤を言い渡された。岡山大病院に通院できなくなるため、辞めざるを得なくなったという。その後も二十社以上の面接を受けたが、障害を告げると、すべて落ちた。

 「心の性に正直でいようとすると、自分の大切なものをすべて失わないといけない」

 長く差別や偏見に苦しんできた田中さんは「身近に一人でも相談者、理解者がいれば救われる」という。

 「学校で性同一性障害について知る機会を設けたり、教諭が理解者になって障害のある子どもを守ってほしい。障害をさらりと話せる時代が早く来てほしい」

     ◇

 性同一性障害の相談、診療は岡山大病院ジェンダークリニック(086―223―7151)で受け付けている。
※登場する人物・団体は掲載時の情報です。

(2007年12月09日 更新)

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