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第1部 さまよう患者 (10) 夜明け 小さな波 うねりになる

「全国の声を聞き、呉からも発信しましょう」。第5回がん患者大集会を前にあいさつする浜中さん=昨年11月、呉医療センター

 「患者が心細くなるのは夜。相談窓口がほしい」「再発や転移しても見捨てないで」

 昨年11月8日。北海道から沖縄まで18病院をテレビ会議システムで結んだ「第5回がん患者大集会」。医療現場やメーン会場の国立がんセンター(東京)にいる厚生労働省幹部に届けようと、患者が切実な思いを語っていく。

 中国地方唯一の会場となった呉医療センター(呉市青山町)には市民約70人が集まった。運営の中心で、皮膚科開業医の浜中和子さん(59)=尾道市栗原町=は感慨深く見入っていた。

 浜中さんは、集会を主催したNPO法人がん患者団体支援機構(事務局・東京)の副理事長。「声を出して初めてかなう。小さな波も、みんなで起こせばうねりになる」。その思いを胸に、患者支援の先頭に立ち続けている。

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 患者不在―。わが国のがん医療は長い間、そう言われてきた。

 「あれが夜明けだった」。浜中さんは思い起こす。

 2005年5月、初めての患者大集会が開かれると聞き、半信半疑で大阪へ向かった。

 会場に着き、熱気に驚いた。「やっと意見を言える場ができた」。地方で闘病する患者らが呼び掛けて実現した大集会。全国の患者や家族ら約2千人で埋まっていた。

 「がん難民という言葉をなくしたい」「患者にとって情報は命」。壇上で次々に患者が訴える。その言葉に胸が熱くなった。

 「広島の友人が抗がん剤治療を地元で受けられず、愛媛まで行っています」。浜中さんも夢中でマイクを握り、医療の地域格差を訴えた。

 その声は国を動かした。翌年、がん対策基本法が成立。国のがん対策推進基本計画をまとめる協議会委員に、患者と家族が初めて名を連ねた。

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 浜中さんは1993年、乳がんが見つかった。完治はしたが、医師から患者に立場が変わり、初めて気付いたことがある。

 「言いたいことが半分も医師に言えない。患者は何と弱い存在なのか」。励まし合おうと、乳腺疾患患者の会「のぞみの会」を立ち上げた。

 2003年に乳がんで逝った50代の会員が忘れられない。がんが骨に転移して両腕を骨折。かろうじて動く指先に握ったナースコールが「命綱」だと見舞った際に聞いた。

 「看護師に痛み止めを頼むと、もう少し待ちなさいと言われる。私ってわがままなんかね」。浜中さんは涙があふれた。

 わずか7年前のことだ。だが「隔世の感がある」と感じる。

 「痛いまま放っておくなんて今は考えられない。患者の権利が守られ、医師との関係も変わってきた」

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 信頼できる情報の提供、苦痛を癒やす緩和ケアの充実、地域格差の解消…。患者の叫びは国のがん政策を変えた。だが、「言いっ放しでなく、成果をきちんと検証していくことも必要」と話す。

 昨年の大集会前に行った患者アンケート。4人に1人が「不安など心の問題に困っている」と打ち明けた。

 「患者が悩みを打ち明けられる場は依然として少ない。法律ができても、数年ですべて良くなるわけではない」。さらなる活動が必要だと、浜中さんは思っている。
※登場する人物・団体は掲載時の情報です。

(2010年02月12日 更新)

タグ: がん医療・話題

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