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読者の反響 がん治療に不満 冷たい告知 少ない病棟

読者から届いた手紙、ファクスの一部。びっしり並んだ文字から患者、家族の思いが伝わる

 いったい私たちは医療に何を求めているのか―。第1部「さまよう患者」、第2部「『いのち』と向き合う」で、取材班はがん治療や緩和ケアの現場を歩いた。読者から約50通の手紙、ファクス、メールが寄せられた。多くは治療やみとりの過程で受けた心身の傷を訴えるものだった。見えてきたのは、患者と医療者との間で揺らぐ「信頼」のキーワード。一部を紹介する。

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 医師の治療説明に納得できない「がん難民」。<私の娘もガン難民でした>とつづっていたのは、昨年7月に長女=当時(22)=を肉腫で亡くした津山市の女性(50)。2008年末、岡山県南の病院で手術。「抗がん剤も放射線治療もしなくていい」と言われ喜んだのもつかの間、5カ月後に肺転移を告知された。その際の冷たい対応に憤っていた。

 告知したのは初対面の医師だった。「場所が悪いので手術できません。抗がん剤も放射線も効きにくい」。いきなり本人に告げ、他のセカンドオピニオン外来を紹介した。

 同行した父親(53)は帰りの車中、漏らした長女の言葉が忘れられない。「死刑宣告された」―。

 次に診てくれた医師はすぐに入院や治療を手配し、「若いから闘おう」と励ましてくれたという。長女は短大を卒業し就職したばかり。それだけに「もっともっと生きたかったはず。最初からセカンドオピニオン外来の医師に出会っていたら…」。母親の涙は尽きなかった。

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 岡山市の男性(68)は<深刻なのは『 貴方 ( あなた ) はこれ以上治療効果は望めないから、退院して下さい』と宣告されること>と書いた。

 妻は肺がんが背骨に転移。同市内の病院で治療を受けたが、入院して3カ月を過ぎた08年11月に主治医が突然、「手は尽くした」と退院を求めた。

 だが、激痛が続き、頻繁にトイレ介助が必要だった。「自宅に帰れる状態でなかった」。受け入れ病院を何とか紹介してもらい、昨年8月、61歳で逝った。

 入院が長期にわたる患者に退院を迫るのは、在院期間の短縮を促す診療報酬制度が背景にある。増え続ける医療費を抑制するためだ。一方で、在宅ケアのサポートはまだまだ不十分。男性は「緩和ケア病棟など終末期の施設は少ない。心安らかに最期を迎えられる医療制度、施設を整備してほしい」と切実に訴えた。

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 <サプリメントの事を相談したら無頓着だった>

 <パソコンとカルテしか見ない>

 <医学部でもっと患者対応を教育してほしい>―。

 お便りからにじむのは、医師への不信、不満だ。

 がん体験を持つエッセイストの岸本葉子さんは「良い医療とは一言でいうと信頼関係」という。必要なのはともに病気と闘う「対等のパートナーシップ」であると。

 お便りの中には<最高の医療とスタッフ、医師に恵まれ悔いなく生活できた>と感謝する声もあった。医師不足など医療崩壊が叫ばれる中で、患者や家族の心が置き去りになる現実はあるだろう。

 だが、患者や家族が願うのは病を治すことばかりではない。一人一人の思いにたとえ応えられなくても、応えようと努めること。その温かさが人を癒やす。

 第3部からは地域の医療崩壊を食い止めようとする医療者側の苦悩を伝えたい。
※登場する人物・団体は掲載時の情報です。

(2010年03月08日 更新)

タグ: がん医療・話題

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