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27 パンドラの箱 希望与えた基準変更

「ベントーズ」の4人。右から岩田勝さん、小林清隆さん、勝さんの兄の欣也さん、則武正五さん。苦楽を分かち合ってきた仲間だ

 「あいつ、もうダメかもしれない」。ザ・ベンチャーズに傾倒するアマチュアバンド「ベントーズ」のリードギター岩田勝さん(64)=倉敷市真備町=に2005年春、肝硬変に伴う肝細胞がんが再発。バンド仲間も悲観にとらわれた。

 「本当にしんどそうだった」。全盲のドラマー小林清隆さん(54)も、岩田さんの病状悪化をひしひしと感じ取っていた。何度も肝性脳症に襲われ、前後不覚の夢遊病状態で宙をさまよう。見えなくても、生気を失った土気色の顔が脳裏に浮かんだ。

 追い打ちをかけるように同年9月、岩田さんを看病してくれていた妻保子さんが亡くなった。肺がんが転移し、あっという間の最期。保子さんの古里の鳥取に帰り、夫婦水入らずで暮らす計画もついえた。

 どこで「パンドラの箱」を開けてしまったのか…。移植の門の前には、がんの大きさや個数によって保険適用の可否を定める「ミラノ基準」の分厚い壁が立ちはだかる。だが、あすの見えない日々の中でも、決してあきらめることだけはしなかった。

 当時、移植手術後に保険適用を却下され、高額の医療費を請求されるケースが全国的に問題になっていた。摘出した病肝から術前診断以上の個数のがんが見つかり、ミラノ基準超過と算定されるなど、判断が揺れる事態が生じていた。

 インフォームドコンセントなどを通じ、病院側が保険適用される可能性が高いと説明していれば、術後の検査で基準外だったからといって、レシピエントに全額自己負担を強いるのは酷なことだ。やむなく病院側も一部負担し、赤字を抱えるケースが相次いでいた。

 箱の底に隠れていた岩田さんの「希望」が姿を現したのは、07年6月のこと。日本移植学会などの要望を受け、生体肝移植の保険適用基準が改正された。

 がんの治療後3カ月以降、移植手術前1カ月以内の画像診断により、完全に 壊死 ( えし ) したと判定されたがんは算定しない。がん診断の時期を明示する基準改正だったが、結果的に、がんを併発した肝硬変患者に対する「ミラノの壁」のハードル引き下げにつながった。

 「わしも生きられるのか!?」。岡山大病院の八木孝仁医師( 肝胆膵 ( かんたんすい ) 外科長)から、基準が変わったと聞かされた岩田さんは、にわかに信じがたい気持ちだった。息子4人が集まり、長男祥昭さん(35)が「わしが(ドナーに)なる。嫌な者は手を挙げろ」と説得。重たい門扉が開くと、移植の道は急展開で広がっていった。

 再びつらい肝動脈 塞栓 ( そくせん ) 術(TAE)治療に耐えた。8個以上あったがんは消え、結果は良好。同年11月、基準改正から最短距離での手術実施が決まった。

 ところが、がんはとことんしぶとい。術前入院のCT(コンピューター断層撮影)検査で、またしてもがんの影が見つかったのだ。

メモ

 パンドラの箱 ギリシャ神話上のパンドラは神が土と水からつくった人間の女性。決して開けないよう言いつけられていた箱を開けてしまい、中から戦争や病苦などあらゆる災厄が人間界に飛び出してしまったが、箱の底には「希望」が残っていた―というあらすじの戯曲や小説が盛んに創作された。「パンドラの匣(はこ)」(ドーラ&アーウィン・パノフスキー著、法政大出版局)によると、原典では箱ではなく大型の瓶だったらしい。太宰治の小説「パンドラの匣」は生誕100周年を迎えて映画化され、現在上映中。
※登場する人物・団体は掲載時の情報です。

(2009年11月02日 更新)

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