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(10)献体 100歳迎え、医学の発展願う

Kさんと筆者。診療所にて

夏の強い日差しを受けながら、背丈を伸ばす稲

 前回紹介したKさん。昨夏の村の納涼祭で、不肖、私が「誰か故郷を想はざる」を歌ったことで「生きる希望が生まれた」とおっしゃってくださいました。

 祭りの後、Kさんは右頬の腫瘍を取ってほしいと外来に来られました。確かに右頬、下まぶたから2センチくらい離れたところに腫瘍があります。1年くらい前から大きくなって、診察時には2×1・5×0・7センチほどで、凹凸不整、白く乾いた箇所や溝のように掘れたところは黒っぽい。気にされて、ボロボロと指でつまんで削(そ)ぐこともあるとのことで、望まれるように当方で切除しました。

 組織診断では異型細胞の真皮への浸潤性の増生が見られてしまいました。ただ組織型としてきれいに切除できていれば予後も心配なさそうです。その後は慢性心不全や慢性腎臓病に対しての治療で小康状態です。

 昨年の秋の盛りのことでした。診療を終えると、Kさんの顔付きが変化し、そのまなざしからは何かの決意が込められた強靭(きょうじん)な意志が感じられました。

 「お願いしたいことがある」と。そして言葉を継がれ、「献体をしたいのです」…。

 献体とは、医学の発展、医学教育の一環として、死後に自分の肉体(遺体)を解剖学の実習用教材とすることを約し、遺族が故人の遺志に沿って大学病院の解剖学教室に提供することです。解剖は医学生にとっては必須です。私が昨年3月まで在籍していた母校・川崎医科大学の創設者である川崎祐宣先生も、献体登録され供与されました。

 Kさんは、隣接の市に在住する息子さんと相談されたそうです。決意されるまで、どのような事情があったのか、深く立ち入ることになるのでお聞きはできませんでしたが、「死してなお世のために」という思いでしょうか。お嫁さんが以前、診療を受けた際、良い印象があったとのことで川崎医科大学への提供を思い立ったそうです。

 献体については法律が定められていて、献体登録のための手続きが必要です。私が大学事務の旧知の方と連絡を取っている間に、Kさんは満百歳を迎えられました。持病の具合もあり大学への訪問はかなわなかったのですが、担当教授が准教授を伴われて村まで来られました。Kさんは息子さんと2人、診療所の部屋で教授たちの説明を受けられ、登録は無事に完了しました。

 その後、持病の悪化で入院もありましたが、今は元気を取り戻し、100回目の夏を過ごされています。

 県南より涼しいとはいえ、当地でも熱中症疑いで点滴をする患者さんも多い日々です。以前にも記しましたが、季節ごとで異なる様相の疾病もあれば、慢性疾患での生活習慣指導や薬剤量の調整などで継続診療をしている患者さんもいらっしゃいます。

 「元気で長生きしていただきたい」。そうした思いで、きょうも白衣に袖を通します。診療所の周りには、稲(多くは餅米・ひめのもち)が青天に向かってぐんぐんと背丈を伸ばしています。

 長くご愛読いただきました診療所だよりも今回で終了となりました。しばしのお別れと致します。皆さま機会がありましたら、ぜひご来村くださいませ。

 =終わり
※登場する人物・団体は掲載時の情報です。

(2022年08月01日 更新)

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