文字 

RFL啓発 岡山でセミナー がん患者や家族支援

日本対がん協会会長(国立がんセンター名誉総長)垣添忠生

 がん患者や家族を支援し、がん征圧を目指すチャリティー活動「リレー・フォー・ライフ(RFL)」。この活動を広めるためのセミナーが先ごろ岡山市内で開かれ、垣添忠生日本対がん協会会長(国立がんセンター名誉総長)らの講演があった。講演要旨を通じてRFLの活動内容を紹介する(敬称略)。

同じ生活 営める社会に 日本対がん協会会長(国立がんセンター名誉総長)垣添忠生

 記憶に残る患者と、妻のことを話したい。

 患者の一人は普段左耳に当てていた電話を右耳に当てている自分に気づき、それだけの異常で病院を訪れた。聴神経腫瘍だったが、非常な早期ですぐ治った。一方、首が回らず仰向けに寝られないほど進行した精巣がんの患者は、場所が場所で恐怖心もあって受診が遅れた。首のリンパをはじめ多発転移で昔なら余命3カ月ほど。幸いその時は良い抗がん剤が開発されており、大手術にも耐えて今も元気にしているが。体の異常への対処の仕方は人により大きく違う。

 「がん六回 人生全快」の著者関原健夫さんは元銀行マン。在米中に大腸がんが分かり、以後肝臓や肺への転移で計6回の大手術。だが生き残り、人々を勇気づけている。小説家の開高健氏は酒とたばこが激しく、こういう人は食道がんのリスクが跳ね上がる。実際それで亡くなった。

 私自身も大腸内視鏡でポリープを取り、調べるとがんがあった。また腎臓細胞がんで腎臓の部分切除も経験している。がん検診は元気な時に受けてほしい。私の場合も、少し遅れていれば危なかった。

 妻は、最初に見つかったのはわずか4ミリの右下葉小細胞肺がんだった。検討の末、陽子線治療を選択。だが半年後に右肺門部リンパ節転移が分かった。化学療法と放射線療法で「完治した」と思ったが、調べると肺、肝臓などに多発転移していた。再び化学療法もやったけれど、結局全経過1年半で2007年末に亡くなった。最期はうちに連れ帰り、私が世話をした。

 ◇

 悲しく、落ち込み、深酒もした。死ねないから生きているような生活だったが、3カ月ほどで徐々に気持ちが変わってきた。山へ登り、また居合道を始めた。カヌーも。悲しみを打ち破ろうと努力した。

 やがて妻のことを書き始めた。書くことは深い悲しみを表出する行為と気づいた。それが「妻を看取る日」という本になり、全国の読者から多くの便りをいただいた。私はがんの専門医で、自分でも患い、がん患者の家族で、遺族でもある。がん検診とがん登録、在宅医療などに生きている限り取り組みたい。

 人はエベレストに登り、深海に潜り、宇宙に行く。弱くはかない人間は、また巨大な存在でもある。決心し、希望持ち、頑張れば何とかなることもある。がん経験者が、がんになる以前と同じような生活を、気負いなく淡々と営める社会になることが願いだ。

次ページは「研究助成や検診を推進」


※登場する人物・団体は掲載時の情報です。

(2016年03月07日 更新)

タグ: がん

カテゴリー

ページトップへ

ページトップへ