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第3部 揺らぐとりで (2) 疲弊 多忙、暴言 心が折れた

救急外来の患者が途切れたわずかな間、机に伏せて仮眠する当直医=津山中央病院

 「なんで内科医が子どもを診るんだ。診断が間違っていたら責任を取れるのか」

 岡山市内の病院医師(45)は、数年前まで勤めた津山中央病院(津山市川崎)の救急外来で、患者の親に何度か食ってかかられた。

 当時、平日深夜は内科の当直医が小児科も担当。午後5時半から翌朝8時半までで多い日は内科を含め40人近くを診た。

 「仕事に行く前に風邪薬をくれ」と早朝に受診する。「医師の態度が悪い」と騒ぐ。酔って暴力を振るう…。首をかしげたくなるさまざまな患者に出会った。

 「夜も寝ないで頑張っているのに、何でこんな目に遭うのか。救急のプレッシャーから解放されたい」。ついに心が折れた。派遣元の大学医局に異動を頼んだ。

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 津山中央病院の当直は内科の場合で月2~4回。朝から外来診察や病棟回診などをこなし、当直中に仮眠はほとんど取れない。当直明けも午前中いっぱいは診療にあたる。

 病院側も2006年以降、内科、外科、救急医だけだった当直医に小児科、循環器科を加え、重圧の軽減を図った。それでも、緊急の治療が入り、勤務が連続30時間以上に及ぶことも珍しくない。

 そして、肉体的な疲労に追い打ちをかけるのが、一部の患者や家族の心ない言動だ。

 「以前は『時間外に来てすみません』と感謝する患者が大半だったが、今は違ってきた」と内科部長の柘野浩史医師(46)。患者との関係が「診て当たり前」に変わったと感じている。

 医師のやりがいは、患者が良くなって喜ぶ姿を見られることが大きい。だが、「救急はいつも初診。入院患者と違い信頼関係ができていない。そして、どんなに懸命に治療しても、結果が悪ければ訴えられる不安が常にある」という。

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 同病院は1954年、「津山に総合病院を」という共通の夢を抱いた3人の開業医が中心となって市中心部に設立した。

 その後、国立療養所津山病院の経営移譲を受け1999年、郊外へ移転。同時に救命救急センターを併設して「すべての救急患者を断らず診察する」を目標に掲げた。地域の医療を支える責任感からだ。

 現場の医師もそうした意識はある。しかし一方で、救急には疲れ果てている。「当直が近づくと気がめいる」「いつか燃え尽きそうだ」といった声が漏れる。

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 2年前には当直に入っていた医師3人が相次いで退職。特に19人中2人が辞めた内科医は当直体制を組むのに苦労した。さらに内科から循環器科が分かれたため、現在は12人。1人当たりの当直回数は増えている。

 同病院の医師は研修医を含め約100人。このうち20人前後が毎年、大学の医局人事や研修の終了などで病院を去る。今のところ後任が補充されているが、安心はできない。

 ある医師はこう懸念する。

 「県北勤務の希望は多くない。過酷な勤務が続けば、医師不足の中、来る人がいなくなるんじゃないか」
※登場する人物・団体は掲載時の情報です。

(2010年03月20日 更新)

タグ: 医療・話題

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