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第5部 公立病院の苦悩 (1)混乱 医師と行政 溝あらわに

内科医の退職を告げる児島市民病院の張り紙。患者も減り、病院は赤字経営に転落した=2008年6月

 病院の将来像を描く場が一瞬凍りついた。

 「『岡山大は文句を言うな』というのか? また、市がけんかを売る感じだ」

 3月23日、倉敷市立児島市民病院(同市児島駅前)で開かれた同病院の経営健全化検討委員会。同大出身の江田良輔院長(51)が、事務方の市職員に気色ばんだ。

 昨年12月からの審議を「改革プラン案」にまとめる最終の場だった。パブリックコメント(市民意見)に対する市の回答が「病院職員の人事権は市長が有しており…」とあった。2008年4月の院長人事に端を発する内科医の一斉退職についての記述で、岡山大の人事面での関与を否定する内容だった。

 山口県の病院から着任して1年。立て直しに奔走する江田院長には「混乱の反省が見られない」と映った。

 「是非はともかく、経営悪化を招いたのは事実だ」。地元医師会長ら委員からも市の考えに異論が噴出した。

 結局、市は医師の人事について「今後は院長と慎重かつ十分に協議したうえで実施したい」と改めた。

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 児島市民病院は倉敷市唯一の公立病院。旧児島市が1950年に開設した。ベッド数は198。人口約7万4千人の児島地区の中核病院として地域医療を支えてきた。

 ピークの2004年に20人いた常勤医の多くは岡山大からの派遣。人事にも大学の思惑が強く反映された。08年3月に定年となる当時の院長の後任には、同大出身の内科の副院長を昇格させる意向だった。

 だが、市は「赤字体質脱却に向けた経営改善の一環」として初めての院内公募に踏み切った。副院長と眼科医長が立候補。市は選考で眼科医長を選出した。これに大学や現場の医師が猛反発した。

 07年度時点での累積赤字は約23億円に達したものの、それまでの5年間は連続黒字。患者の約6割が内科を受診しており、内科医以外の院長昇格が「内科軽視」「大学軽視」に映ったのだ。

 半年間で産休の1人を除く5人の内科医がすべて退職する“異常事態”となった。

 「市民病院に頼り切っていたので、目の前が真っ暗になった」。ぜんそくで入退院を繰り返す小野芳夫さん(82)=同市児島阿津=は振り返る。専門的な診療や入院ができず、他の病院へ移る患者が相次いだ。

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 09年2月、公募の新院長が退任することで、事態はようやく収束に向かったが、混乱の代償は大きかった。

 08年度の外来、入院患者は前年度より4割前後も減少。岡山県内の自治体が設置する19病院で最悪の約5億2千万円の赤字に転落した。年間200件のお産を扱っていた産科医が激務から退職したり、小児科医が体調を崩して時間外診療を休止したことも赤字拡大に拍車を掛けた。

 新年度が始まった4月1日、待望の内科医2人が着任。江田院長らと合わせ常勤の内科医は4人になり、かつての6人体制に一歩近づいた。院長自ら岡山大に要請のため通い、同大も経営健全化検討委員会に病院長が参加するなど協力、派遣再開にこぎつけた。

 その前日には同委員会は伊東香織市長に改革プラン案を答申。市長と院長らが経営方針を共有する「病院経営会議」(仮称)の設置が盛り込まれた。

 ただ、江田院長はなお不安がぬぐえない。

 「大半の公立病院を経営するのは(行政という)医療の“素人”。現場医師とは思いが乖離(かいり)しがちだ」

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 公立病院の多くが赤字に苦しむ中、経営をめぐる対立が時に、病院側と行政との溝をあらわにする。

 千葉県銚子市にある市立総合病院が08年9月、休止に追い込まれたのもその一つ。入院患者は転院を余儀なくされ、休止を決めた市長のリコール成立につながった。

 発端はやはり市と、医師を派遣する大学の対立だった。

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 地域の医療を支えてきた公立病院が揺らいでいる。生き残りを模索する姿を追う。
※登場する人物・団体は掲載時の情報です。

(2010年05月02日 更新)

タグ: 医療・話題

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