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(5)歯が抜ける原因 朝日高等歯科衛生専門学校校長(旧ベル歯科衛生専門学校) 渡邊達夫

 歯の役割として、物を噛(か)むこと、味わうこと、はっきり発音すること、美しい顔の条件などが挙げられていた。しかし、歯を抜いたり、削ったりすると学習能力が落ちることがネズミでは分かってきた。また、アルツハイマー型認知症になる人には、歯のない人が多いのも事実だ。最近分かってきた歯と脳の関連は、歯根膜(歯と骨との間にある1ミリ前後の軟らかい組織)にある機械的刺激受容器が脳に伝える神経刺激で説明している。また、その刺激によって誘発されるアセチルコリンとの関係も言われている。

 老後、認知症になったり、動けなくなったりして、家のかみさんに面倒見てもらえるのはありがたいとしても、若い人にはなるべく迷惑をかけずに死んでいきたいものである。一番いいのは、北沢豊治氏が提唱したPPK。ピン、ピン、コロリ。おいしいものを食べて、お喋(しゃべ)りをして、ピンピンしているときに、コロリと死ぬ。そのためには生活習慣病の予防が大切だ。また、歯がたくさん残っている高齢者は、歯のない人と比べると医療費が明らかに低く、生活の質(QOL)も高いことが分かっているから、歯を抜かないこともピン、ピン、コロリへの一つの途(みち)である。

 歯を抜くのは歯科医師である。歯科医師が歯を抜かなければ、歯は残る。技術があれば、相当の歯を残すことができる。歯を抜くということは、その歯科医師の技術では残すことができないと宣言したに等しい。他の歯科医師だったら残すこともできる場合も多い。たとえ1本の歯でもその歯の生死がかかわってくるときは、もう1軒の歯科医院に行って意見を聞くのも手だ。2番目の意見(セカンド・オピニオン)を聞くことだが、結構多くの患者さんが2軒目の歯科医院を訪ねている。自分で納得いかない場合は、3番目の意見(サード・オピニオン)を求める人もいる。最終的には自分の判断で決定する。患者の自己決定権だ。自分の体の処置は、自分の責任で決めるのであって、「先生にすべてお任せしますので、よろしくお願いします」という時代は過ぎた。

 歯を残したくても、歯科医師として歯を抜かなければならないときもある。それは痛みがどうしてもひかないとき、その歯が邪魔になっているとき、体の他の部分に悪影響が出ると分かったとき、入れ歯の方がよく噛めると分かったときなどである。何が原因で歯が抜かれているかを調べてみると、20年前はムシ歯で抜かれるのが第1位であったが、10年前には歯周病が抜歯の原因のトップになった=グラフ参照。この傾向はさらに顕著になってくるだろう。子供の数が減ってきたこと、ムシ歯予防法が普及してきたこと、ムシ歯になった歯の根を残せるように治療技術が進歩したこと、などに加えて高齢者の割合が高くなってきたことがある。

 学童期からは歯科矯正のために歯を抜くことが多くなっている。最近、抜歯をせずに歯列矯正をすることを売りにしている矯正歯科医がいるが、いろいろなやり方があって意見の統一が取れていない。

 中学生以降の萌出(ほうしゅつ)異常という抜歯の原因は、親知らずを抜くときにつける病名である。親知らずは役に立たない歯で、将来炎症が起こったり、ムシ歯になって治療に困ることがあるから、元気なうちに抜いておこう、という考えがあった。近ごろはムシ歯も減ってきたし、炎症の予防法も分かってきたので、あえて抜く必要はないだろう。昔、盲腸(虫垂炎)は手術がほとんどだった。今は、手術したという話はあまり聞かない。親知らずの抜歯も虫垂炎の歴史に似て、外科的処置をしなくなってきている。医療技術の進歩は、体にメスを入れたりせず、体の負担も少なく健康を保持増進する方向に向かっている。
※登場する人物・団体は掲載時の情報です。

(2012年04月16日 更新)

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