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第9回「神経細胞」 川崎医科大学神経内科学 砂田芳秀教授

砂田芳秀教授

 私たちの体は隅々にまで神経が張り巡らされている。脳と脊髄が中枢神経で、全身からもたらされる情報を処理して指令を発信している。司令塔である脳の中では神経細胞が複雑なネットワークを形成し、記憶や思考、感情、運動、生体維持などをつかさどっている。中枢神経から全身に伸びて情報をやりとりしているのが末梢神経だ。川崎学園特別講義第9回のテーマは「神経細胞」。4月から川崎医科大学学長に就任する、神経内科学の砂田芳秀教授に話を聞いた。

■仕組みと働き

 われわれは、目や耳などの感覚器官からもたらされた外界の情報や、自身の内部環境のさまざまな状況を認識し、それに適切に対応して自らを維持しています。情報を受け取り、処理し、伝達している神経の基本単位が神経細胞です。

 神経細胞の主な仕事は情報処理です。脳は膨大な数の神経細胞と、神経細胞の機能を支えるグリア細胞などで構成されています。神経細胞はつながりあって複雑な回路を作り、脳全体で精密な情報処理を行っています。

 生まれてすぐの赤ちゃんは目がよく見えません。学習の記憶が蓄積されることで神経細胞による回路が形成され、次第に見えるようになります。そうしていろんな情報が統合され、周辺の環境を音響や匂い付きの映像として把握したり、相手の話を聞いて理解したりするようになります。

 【シナプス】

 神経細胞は特徴的な神経突起を持っています。神経突起には、他の神経細胞から情報を受け取る複数の短い樹状突起と、情報を出力する1本の長く伸びた軸索突起があります。この軸索が、他の神経細胞の樹状突起とつながって回路を形成しています。

 情報は、神経細胞の中では電気信号として伝わります。軸索と樹状突起とのつなぎ目はシナプスと呼ばれる特殊な構造になっていて、電気信号は伝わりません。神経伝達物質という化学物質でやりとりします。

 神経伝達物質は、やる気や幸福感をもたらすドパミンや、精神を安定させるギャバなど何種類もあります。基本的にはその神経細胞に特有な神経伝達物質を1種類だけ放出します。

 軸索の先端には神経伝達物質をためたシナプス小胞がたくさんあります。電気信号が軸索の先端まで到達すると、シナプス小胞の中の神経伝達物質が放出されます。それが狭いシナプス間隙を通って別の神経細胞上の受容体に結合すると、その神経細胞の中で電気信号が生じ、情報が伝達されるのです。

 【グリア細胞】

 神経細胞は単独では生存できません。神経細胞を取り囲んでいるグリア細胞が脳内の環境を整え、神経細胞の働きを支えています。

 軸索を何重にも取り巻く髄鞘(ずいしょう)を形成しているのはグリア細胞です。髄鞘があることで、電気信号の伝導速度は高まります。また、栄養を補給する血管と神経細胞をつないだり、有害な物質を取り除いたり、免疫反応をつかさどったりしています。

 神経細胞やグリア細胞が病気で侵されると、精密な回路が機能しなくなります。しかも神経細胞は、壊れてしまうと再生しません。脳内のどの神経回路が障害されるかによって、運動まひや不随意運動、認知症などさまざまな神経症状が出現します。

■主な病気・認知症

 まず注意しておかなければならないことは、認知症は症状の名前だということです。認知症という病気があるわけではありません。原因となる病気はいろいろあり、最も多いのはアルツハイマー病です。

 治療可能な認知症もあります。正常圧水頭症と慢性硬膜下血腫は脳外科的治療でよくなる代表例です。ビタミン欠乏症や甲状腺機能低下症といった内科的な疾患も、ビタミン補充、ホルモン補充でよくなります。

 病気によって対処法が異なりますので、PETやMRIといった画像診断などで正確に鑑別診断することが大事です。

 【アルツハイマー病】

 アルツハイマー病は長い時間をかけて神経細胞が障害を受けて発症します。初期は物忘れの症状が目立ちます。

 記憶には、自転車の乗り方など体で覚える「手続き記憶」と、漢字や計算の仕方など頭で覚える「陳述記憶」があります。手続き記憶は認知症でも失われにくいといわれます。

 陳述記憶は、脳の奥にある「海馬」という部分が大切な役割を果たしています。外界からの情報は大脳の感覚野や海馬を経由して、大脳皮質(言語情報は側頭葉、視覚情報は後頭葉と、役割分担がある)に送られ、記憶として蓄えられます。海馬を損傷すると、新しい出来事は記憶できなくなります。

 新しい出来事を記憶するメカニズムには、海馬とその周辺の側頭葉内側、前脳基底部、視床前内側部が関わっていて、アルツハイマー病ではこうした部分の神経細胞が侵されやすいのです。

 【治療薬】

 アルツハイマー病の治療は世界的な課題です。

 先日、アルツハイマー病の新薬「レカネマブ」を米国のFDA(食品医薬品局)が承認し、製薬会社は日本の厚生労働省にも製造販売承認を申請しました。症状の進行を遅らせる効果のある薬とされています。

 レカネマブは、神経細胞の外側に異常に蓄積したβ(ベータ)アミロイドが結果的にアルツハイマー病を引き起こしている―とするアミロイド仮説に基づき、βアミロイド除去を目指して開発された薬です。論文を読むと、βアミロイドは明らかに減少し、症状の進行も遅くなっていました。

 アルツハイマー病の治療薬で、これまで国内で承認を受けているのは4種類ありますが、脳内の神経伝達物質を増やして症状を一時的に緩和するなど対症療法の薬でした。

 【予防と早期診断】

 アルツハイマー病は、病気の進行自体を止めることは今のところできません。βアミロイドは発症の20年ほど前からたまり始め、病気は知らぬ間に進行します。だから予防と早期診断が大切です。認知症の危険因子は分かってきています。血圧が高かったり、糖尿病がある人は、血圧や血糖値をきちんとコントロールすることが予防には有効です。早期診断にはPET画像診断や脳脊髄液検査のほか、最近は血液の分析でβアミロイドの蓄積具合を調べる検査ができるようになっています。
※登場する人物・団体は掲載時の情報です。

(2023年02月20日 更新)

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